4交代制夜勤ありのテレオペで体が限界

以前派遣会社に登録していた時期があるのですが、その時に派遣された先がIT関連の会社のサポートデスクで、
私はそこでテレフォンオペレーターの仕事をしていました。

人間関係はとてもよく、先輩も頼りがいがあっていろんな学びもありました。一緒に食事をしたりするひと時もとても楽しかったのを覚えています。
ただ、勤務体制が私にはどうしても合わず、2年弱ほど働きましたが、やめてしまいました。

4交代制で、朝から勤務の場合は8時から。このシフトの日は7時前には自宅を出なくてはならなかったので起床は6時くらいでした。
それほど問題はないように感じていました。通勤が電車だったので、むしろ電車がすいていて通勤はしやすかったです。帰りも同じく、普通より少し早く終業になるため、
電車もあまり混んでおらず帰りやすかった記憶があります。

2番目の勤務は9時から。これは普通、ごくごく一般的な時間なので、通勤と帰宅ラッシュはあれど問題ありませんでした。

3番目の勤務は13時から。朝ゆっくりできるのは利点でした。午前中に用事を済ませてから出勤、ということも可能でした。ちょっとしんどいなぁ、と思ったのは、
終業が22時と遅いため、夜道を気を付けて帰らないといけなかったこと。帰宅してしばらくするともう日付が変わってしまうので、あとはもう寝るだけ、という状態だったこと、
それからこのシフトの際は休憩時間が夕方だったので、なにか食事をするといっても中途半端な時間だったので軽食を取る程度、そして帰宅後また食べてしまってそしてすぐ寝てしまったり、疲れてなにも食べずに寝てしまったり、と不規則な形になってしまいました。昼食に関しても出勤前の11時頃に、まだあまり空腹ではない時に少し食べる状態でした。

そして4番目の勤務は22時から。夜勤です。翌朝8時までの勤務でした。途中2時か3時くらいに休憩時間がありました。
これが私にとっては1番大変でした。夜勤をすると夜勤手当も出ますので夜勤を好む人もいると思います。私もそのあたりのメリットを望んで、この仕事をすることに決めたのですが、
実際はなかなか大変なものでした。まず、出勤時間。当然まっくらです。仕事帰りに飲んでほろ酔い気分になった方とすれ違ったりして自分は出勤です。
多少ですがテンションは下がります。業務を開始してしまえば、外のことはあまり気にならず、昼間に寝ていたわけなので眠気もこず、夜間は社員の数もぐっと減っていたので静かで仕事がはかどるしいいなぁと思ったこともありました。休憩時間は少し食事をしていたのですがおなかがすくときと、すかないときとがあり、自分の体が追いついてきてないなぁというかんじでした。
終業の頃にはどっと疲れがたまりました。それでも帰宅してお風呂に入って、ゆっくりして、眠って、、ということができればその次の夜勤もそこそこ体も問題なく、こなせていました。

4種類ともそれぞれいい点、良くない点がありましたが、それでもなんとかできていました。
体がおかしくなってきたのは仕事を始めて1年くらいたったころでしょうか。夜勤が4−5回続いて、その後1-2日休み、そして朝勤務に戻る、そして朝勤務、昼勤務、とサイクルが回っていくわけですが、そのたびに体をリセットさせなくてはいけなかったのですが、完全にはできなくなってきてしまい、まず、空腹時間が朝昼晩ではなくなって不規則になりました。頭痛や不眠にもなってしまいました。そして女性特有ですが生理不順になってしまいました。いつもだるいような、体調がいまいちだなぁと自覚してしまう状態になりました。
それでも高収入であること、人間関係も非常によかったこと、自分のためにもなる業務だったこともあり続けていましたが、生理不順が1番大きな不安材料となり、その後の自分の将来を考え、辞めるに至りました。

参考:自衛隊転職教室 | 辞めたい自衛官へ退職自衛官が教える再就職

商品開発プロジェクトと責任を取らない上司にはさまれて

数百人規模のIT企業に努めて、商品開発部門に所属していました。素晴らしいシステムを開発して商品化するのはやりがい
がありますし販売が成功すれば大きな評価も得られました。慢性的に忙しかったのですが、やりがいを持って仕事に当たってい
ました。会社の中では中堅というポジションになり、担当分野では好成績で仕事が出来ていました。

 ある日会社の幹部に呼ばれて、新プロジェクトを立ち上げるから参加してくれと言われました。今までの自分の得意部署にも
関連があり、社内でも話題になっていたプロジェクトだったので、喜び勇んで参加を表明しました。いよいよプロジェクトが開
始されて、プロジェクトの責任者に関係者が呼ばれて最初の会議が開催されました。具体的なプロジェクトの進め方、目標とな
るノルマ、運営体制などが説明されました。私はその中のサブマネージャーとして責任のある役目を頂いたのはうれしかったの
ですが、自分の得意分野への戦略がまったく出来ていなく、体制も弱いと思われるものでした。大きな不安を抱えたスタートに
なりましたが、日々の実務の中で軌道修正をかけていけば何とかなるかと思っていました。

 責任者は営業部門の部長で商品開発に関しては素人でしたので、目的の商品の品ぞろえはどれだけ必要か、どれだけコストと
期間がかかるか等の事は、まったく考慮が甘く都合の良い売上目標だけ決めて、早く商品開発しろと命令するだけです。商品を
開発するには市場調査をしてどんなシステムにどんな機能を持たせて、どのような価格を設定するか決めるのは至難の業です。
それを複数同時進行で作って売れないと、目的の売り上げには到達しません。商品開発を長年やってきた私には、無茶な要求に
思えました。売れる商品ひとつ作るのも簡単ではありません。

 経験的に、それまでかかわってきてよく売れていた商品の進化版を開発して、市場に出しましたが、売り上げが足りないと
その責任者から日々催促されます。死ぬ思いで複数の商品の設計をして開発を進めましたが、開発部門の火の車状況になりま
した。外部に委託する開発費用もなかなか出してくれないため、商品作りも進みませんでした。責任者は社長に大変耳触りの
良い報告ばかりしていたので、社長の期待も大きくなっていきました。しかし、プロジェクトは遅々として進まずやっと商品化
出来たものをなんとか販売に踏み切るので精一杯でした。責任者とも開発担当者としてなんどもぶつかり、このままでは失敗
すると言い続けましたが聞き入れられませんでした。2年ほどたって大きく目標を下回る結果になってしまった時、管理者は
社長にこのプロジェクトの失敗は開発担当の私の責任と報告し、社長もそれを認めて直接私が叱責されました。

 さすがに私も2年間の激務と上司の責任転嫁の姿を見て、この会社ではまともな仕事ができないと考え転職を考えました。 

キャリアを積むことができない運用オペレーター

私は、約4年間運用オペレータの仕事をしました。

24時間365日、窓がなくて光も入らず温度も一定に管理されたマシン室でシフト勤務をしました。

仕事はほぼルーチンで特別な知識は必要なく、用意された手順書に従って定型業務をこなすのが仕事でした。

仕事はそれほどきつくありませんでしたが、昇給はほとんどありませんでした。

私もIT業界で仕事をする前までは知らなかったのですが、IT業には商流があり、大手企業が自社でやりたくないような仕事を下請けに投げるという仕組みがあるのです。

私の会社は、そのもっとも下流の仕事を請け負うことしかしない会社でした。

そのために給料が安いばかりでなく、キャリアアップすること、すなわち上流工程の仕事をする機会は永遠にないのです。

しかし、私の業務は技術力が向上しないのですから、経験を積み重ねても自分で勉強しても、上流に食い込むことはできません。

自分の境遇に将来の不安を感じていましたが、かなり年配の先輩もいるので腐らずに一応真面目に働いていました。

しかし、そんな私も結婚をして子供ができると生活するためにお金を稼がなくてはいけなくなりました。

会社に状況を説明し、もっと働くことはできないか、単金の高い仕事に就けないか相談しましたが、そう簡単に事は運びません。

やむなく、私は転職を決意しました。

転職先は中堅のSIで運用はほぼやらず、上流の構築がメインの会社でした。

私は当時30歳で、その会社の中ではかなり若く、将来性も考慮して頂いての内定だと思います。

給料は2割ほど上がりました。

社内ではエンジニアがスキルを磨くための環境があり、構築に必要な環境と手順がある程度揃っています。

その手順を見ながら、初めて触る仮想環境で構築をしました。

しかし、理解力に乏しい私がやるとどうしてもうまくいきません。

あるパラメータが不正値のまま、どうやっても解決しないのです。

オペレータの時に与えられていたような完成されたマニュアルではなく、構築手順はエンジニアのメモのようなレベルでした。

あの時に先輩に言われた言葉は今も忘れません。

「これは本番環境ではなく、時間かかってもいいから原因を自分で調べろ。お前はエンジニアだろう」

結局は、一つのパラメータを修正するために丸二日かかりました。

しかし、今までIT業をやっていながら自分で何かを作ることをした経験がない私は、エンジニア扱いされたのは初めての経験でした。

逆に言えば、エンジニアなら自分が作ったものが動作しなければ原因を突き止めるのは当たり前のことなのです。

給料が上がった分、責任も重く感じましたし、必死で食らいつくために勉強もしました。

その後、私は技術的なスキルを少しずつ覚えて構築の業務をすることもできるようになりました。

改めて思い返すと、転職してなかったら自分がどうなっていたのか考えると怖いですし、今の会社に転職して良かったと思います。

IT業界だとスキルアップのために転職するのは効果的な選択だと思います。

運用オペレータに限らず、同じ仕事をずっと続けると新しい技術や知識を得る機会も狭めてしまう可能性があると思います。

CADインストラクターの仕事は多種多彩で想像以上に大変でした。

CADのインストラクターを5年していました。器械系CADのアプリケーションを開発・販売している会社でインストラクターという位置づけでしたがその仕事は多岐に渡るもので毎日いろんな業務を立て続けにこなしていました。
メインの仕事はCADを購入していただいた企業様に出向いてアプリケーションの使用方法や簡単な製図方法をインストラクションすることでしたが、それに付随した電話でのサポート業務、トラブルシューティングの対応なども日常的に行っていました。
それだけですとどうにかルーティン作業として回せるのですが、最も大変なのはアプリケーションソフトの新バージョンがリリースされる前後です。
中小企業でしたのでマニュアル作成やHP上でのWEBマニュアルなども自分たちで作成しなければいけないですし、バージョンアップされるソフトの動作確認や簡単な製図作業も行わなくてはいけないため、リリース前後は始発・最終電車は当たり前、土日もない状態でした。
リリースも無事終わりほっとするのもつかの間、次はリリースしたソフトを保証期間内のユーザー様にソフトを送る作業を行います。その作業ももちろん私たちインストラクターの仕事でした。
私は初めて正社員として働いた会社だったということもあり5年ほど頑張りましたが、最後のほうにはリーダーという位置づけになり、クレーム対応や他のインストメンバーのフォローなども通常業務にプラスされ体がいくつあっても足りない状態でした。
寝ていても夢で電話サポートの夢を見るし、起きていても平面図を立体化してみたりとかなり職業病がひどかったです。

最後のダメ押しで、地方のユーザー様の講習で約1ヶ月土日意外は企業様に入り長期的に講習したことでした。
平日は朝から夕方まで講習でホテル住まい、そして金曜の夜に船と新幹線を乗り継ぎ家に帰り、日曜前のりで現地に入ってホテル泊という生活でした。
嫁入り前なのにどうしてこんな生活を続けているんだろう、と夜な夜な考えそして講習が終わった1ヶ月後に会社に戻ってすぐ辞表を提出しました。

小さいソフト会社はプログラミングから商品発送、サポートまですべて自分たちでしなければいけないのでSEも寝る間を惜しんでプログラミングしないといけないため体を壊したり精神的に異常をきたしたりする社員さんも多くいらっしゃいました。
挙句の果てに売上が芳しくなければボーナスも減額されるという悪循環で長く続けられる仕事ではないと実感させられました。

仕事の理想と現実で悩んだ

私は3回の転職を経て、とあるベンチャーのシステム開発会社に入社しました。
ベンチャー企業を選んだのは今までの自分の経験をフルに活かせる環境を求めていた為です。
その会社は設立1年目でちょうど地方都市から大都市へ移転するとの事で私の通勤圏内にもヒットしました。
設立間もない会社なので給与面・その他待遇面では前の会社よりはるかに劣りましたが、私0歳を目前にして自分たちで会社を作っていくという社風にやりがいを見いだし
大企業に別れを告げて次なるステップに進みました。
最初に勤めた会社が超ブラック企業でサービス残業や徹夜は当たり前だった為、ちょっとやそっとの激務は苦にもならなかったし
理不尽な要求や急な仕様変更なども慣れのせいなのか、それなりに捌く事ができました。
そうこうしているうちに社内でも信頼を得る事が出来、複数プロジェクトの開発を掛け持ちながら新入社員の指導を行なったりプロジェクト管理を行い、身体や精神はくたくたでも慌ただしく充実した時を過ごしていました。
そんな生活が狂いはじめたのは3年程経った頃でした。
初期メンバーの着々とした努力が身を結び会社の規模も少しずつ大きくなってきて今までは経験者のみの求人募集でしたが、新卒や未経験の新入社員を迎える事が出来るようになりました。
新卒を迎えるということは言わば最初は投資はなので一人前に育てあげるまでは大変なのは百も承知なのですが実際にはまた会社にそこまでの底力が無かった為、一気に初期メンバーにシワ寄せが来ました。
自分の工数以上の予定をこなしながら新人教育を行う。社長からは「新人は一刻も早く、1週間以内に戦力になるよう指導して」という無茶振りもあり定時内は新人教育メイン、定時後サービス残業で担当プロジェクトの開発作業というスケジュールをこなしていました。
本当にハードでしたが会社の未来の為と思うと不思議と気力が湧き楽しんでやっていたと思います。
しかし、それすら奪われる時がきました。
少しでもお金が必要という理由で私は担当プロジェクトから外され、大手システム開発会社に出向に出てくれと打診がありました。
「なぜ私?」「せっかくプロジェクトも順調、新人教育もうまくいってるのに!」
私は憤りを隠せませんでした。そもそもこの会社に転職したのももう出向生活にうんざりだったからというのも会社側にはきちんと伝えていたのに。
でも社内には大手に出向に出せるスキルの人材が私以外いなかった事と単価の良さの為、泣く泣く出向に出る事になりました。
本当に悔しくて、出向先ではほぼ定時通り退社出来たり稀に残業があっても破格の残業代が出たにもかかわらず何故か気持ちが沈み自律神経失調症になってしまいました。
先方の会社に迷惑をかけてしまうのは避けたかったので数回の延長には応じましたが晴れて任期満了になった時、スッパリ自社も退職しました!
思い返せば私のワガママでの退職だったと思いますが、今は社員の気持ちを大切にする会社と巡り会えて本当に良かったと思います。

WEBデザイナーは残業が多すぎて精神的に辛いです。

私は昔からデザイン関係の仕事をしたいとずっと思ってきました。

前職はIT系とは全く関係のない営業事務での仕事をしていました。

しかしどうしても夢をあきらめきれず、一年間WEBデザイナーになるためのスクールに通い続けて、転職をして晴れてWEBデザイナーになることができました。

IT業界で働くことは初めてだったので最初はとても不安でしたし、実務経験は全くなかったので未経験扱いとして求人も応募しなければならなかったですが作品作りも本気で行って、熱意をしっかりと伝えたのが良かったのか転職活動は約1ヶ月間で終えることもできました。

入社をしたのはWEBサイトやアプリの開発も行なっている中堅の制作会社でした。

社員は約50人ほどで私と同じように未経験から入社をしてきた社員もいると聞いていたのでとても入りやすかったです。

最初はWEBデザイナーというよりはすでにいるデザイナーのアシスタントを行なっていました。

デザインの簡単な修正や、HTMLやCSSのコーディングなどももちろん行なっていました。

あとは会議室をとったり、時にはクライアントとのミーティングにも参加させてもらい日々毎日勉強で、とても刺激的で楽しかったです。

しかし入社して仕事にも慣れてきて、いろいろと仕事を任されるようになると、だんだんと残業も増えるようになりました。

入社したての頃は、定時に帰社できたり、遅くても二時間ほど残業をして帰るということが多かったのですが任されるようになってから1週間に3日ほどは22時から終電間際まで働いていました。

納期が近づくと会社に泊まり込みで作業をしていました。

会社にはベッドやソファなども用意されており、仮眠を取ることはできましたがさすがにこの日々が結構続くと精神的にボロボロになっていきました。

私は最初はデザイナーだしIT関係だから仕方のないと考えていましたが、同じスクールを卒業した人から話を聞くとどうも会社によって残業があまりないところもあるし、私の会社は残業がありすぎではと言われたのです。

私はこれが普通だと思っていたのでとてもショックでしたし、この残業時間は異常なんだと気づかされるようになりました。

現在は会社に内緒で転職活動を少しづつ行なっています。

面接などに行くと、残業時間がそんなにあるのはおかしいと同情されたりもするのでかなりショックですが、体を壊す前に気付けて良かったと思います。

次に転職する際は残業についてもしっかり考えて転職をしたいと思います。

『転職』航空機の整備士とグランドスタッフはブラック職種

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空に憧れる気持ちから私は空港関係の仕事に就きたいと小学生の頃から考えていました。昔は空を飛行機が飛び飛行機雲ができると「きゃっきゃ」と騒ぐ子供だったんです。

当時のことは良く覚えています。小学生くらいでしょうか、「先生どうして飛行機雲ができるの?」先生の答は「君は飛行機雲に興味を持ったんだね、その好奇心は大切だよ。自分で答を探してごらん。」

もしかしたら、ぼくが聞いた先生は国語の教師だったので、わからなかったのかもしれませんがそれからぼくの心に理系魂が芽生えました。

空への憧れを抱き続けてぼくはとうとう航空整備の道を歩むことになったのです。

理系の大学に進み、そして航空整備の道へ・・・

当時もおそらく今もでしょうが、大学を卒業してから航空整備の道を目指す人というのは余り多くありませんでした。むしろ少数派でしょう。

研究職ならかろうじていたでしょうが、私の場合はがっつり現場で整備がしたかった、航空機に触れたかったというのがあり、教授の「研究畑にいけるよ、推薦しようか?」という言葉を蹴り航空整備士になることにしました。

あの頃は夢がありました。

あまり航空業界に詳しくない人のためにご説明します。

航空業界は飛行機に搭乗する「パイロット、キャビンアテンダント」

地上、つまりは空港内で働く「グランドスタッフ、航空整備士」に分けられます。

つまりぼくは地上勤務員ということですね。

パイロット、キャビンアテンダントのように航空機に搭乗し働く人たちは良いのです。彼らはどれだけ過酷な仕事でも給料が高くなるので、搭乗手当、つまりはボーナスですね。

それに加えて、地上職の給料は非常に悪いです。いわゆるブラックですね。

航空整備士はその特殊な技術からある程度つぶしが利くのですが、グランドスタッフ職になってしまうとどうしても給料が低くなりがちです。

実はぼくは当時グランドスタッフをしている彼女がいました。

二人はいつも一緒にご飯を食べたり、デートをしたりと楽しい関係だったのですが、突然彼女が「グランドスタッフを辞めて転職したい」そう切り出しました。

どうして?空に憧れていたんじゃないの?すると彼女は「もちろんそうよ。グランドスタッフになったのもそれが理由だし、英語だってしっかり勉強したわ。でも、給料を考えてよ。こんなの転職しないと食べていけないわ。」

ぼくの仕事もかなり忙しい割には給料はさほど高くありませんでした。なにより、勤務時間が飛行機のフライトに左右されるという点がやっかいで空に憧れていたぼくでも転職を考えるほどでした。

ぼくは彼女の転職を止めることができませんでした。

だって、ぼくにはグランドスタッフとして毎日頑張る彼女の辛さが痛いほどよくわかるからです。

それからは航空整備士に対しての負の感情が沸き起こってきました。

わざわざ待遇の悪い日本のブラック航空業界にいる必要はない、海外に行こう。

そして、グランドスタッフの彼女と航空整備士のぼくはマレーシアのエアアジアに転職することになったのです。

ブラック商社で営業をしているが、すぐにでも仕事を辞めたいと思っている

ブラック企業という言葉をよく耳にするようになりましたが、私の経験は色で言えば緑です。
労働時間や給料など、ブラックと言われる企業ではありませんでしたが、毎回首を傾げることばかりでした。

最初に気になったのが、採用面接の際には全く気にならなかったのですが、社内が暗いのです。

節電という言葉をよく耳にする時代になりましたが、字を書けない、読めないくらい暗いのです。

経費節約という言葉をよく使う会社でしたが、やりすぎでした。

働いて数日で気になったのは、社内での会話が全くないことです。

休憩時間も各自もくもくと食事をとり、全く話をしません。

仕事に対する疑問、質問もしにくい環境で、本当に息苦しかったです。

営業として入社した以上、同行というものがありました。

未経験の業界・職種だったため、同行があり安心したことを覚えています。

しかし、同行の際に運転する営業マンの運転が、あまりにもひどいのです。

雨の日は、ワイパーを最高速で使用する操作能力と、急発信・急停車を繰り返す運転技術は、一人でも絶対にやらない運転でした。

毎日車酔いの日々に3ヶ月耐えましたが、二度と経験したくない体験です。

例の暗い社内では、表裏ありありの発言を聞く日々でした。

小さい会社で、年齢もバラバラ、仕事も分担してやっていかねくては進まないのに、これでは何も進みません。

自分はこの会社で何ができるのか、真剣に考える日々でした。
退職の決めてとなったのは、全く定まらない会社の方向です。
会議という名の講演会を聞きながら翌日から実行に移すのですが、数日で方針が変わりました。
再度方針を確認したところ、会議の内容は最初からなかったかのようになっていました。
ここまでブレた会社で働いたのは、この企業が最初で最後です。

退職を考えたのは、全く見えない未来と、仕事に対する意欲の低下でした。
仕事をするにはモチベーションが必要です。

営業職のモチベーションは社外での仕事の成果にあると思っています。
どうやって相手に理解してもらい、ものを買ってもらうかを考えるのが営業の仕事の楽しさだと思います。

同行が終わり、単独で営業することになってからも、日々の報告はもちろん、お客様と電話で話した内容まで逐一報告を義務付けられました。

会社員である以上、管理されて当然だと思いますが、営業を管理する前に、社内の管理をすべきだと、日々感じていました。

この経験をもとに、新しい企業を探し、今は本当に恵まれた社会人生活を送っています。
不思議な企業に勤めた経験から、求人を見る際も注目する場所が変わりました。
あの経験があったからこし、今の自分があると思います。

こちらのブログには理系ブラックな仕事を辞めたいという内容の記事しかありませんが、私が作成している大規模なブログがあります。

サイトタイトルは仕事を辞めたい理由教えて!というもので、多くの読者からコメントを貰っているサイトです。

ぜひ、こちらのブログも併せて参考にして下さい。

⇒ 仕事を辞めたい理由教えて!

上司のパワハラに耐えていた、介護系IT職種

介護のIT室で働いていました自分は前の会社をパワハラ対策をしましたが辞めましたが、パワハラで辞めたいと思っている方にはアドバイスします。パワハラは自分は介護からパソコンの異動になりました。そこの上司は40歳の女性のインテリ女性でした。異動する前から自分は潰されてしまうと周りから言われていました。

さっそく異動してみて、教育指導があると聞いて異動しましたが、全く教育体制はできていませんでした。だからパソコンスキルがない自分には専門用語などさっぱりわからなくて、上司からは使い物にならない扱いを受けていました。

さすがに人格攻撃された時は辞めたくなりました。なんとか頑張ってパソコンスキルをあげようとしましたが、即戦力を求めてパワハラをする上司の対策をしてやるにはきついから上の上司に相談して異動にさせてもらいました。さすがにこれは勇気がいると思いますが、精神的に病んでしまってから復帰するにはかなりな時間がかかってしまうので、もしも今会社を辞めたい方がいましたら異動願いや上司に相談するのもいいかもしれません。

自分は上司の対策ををまた上の上司が知っていましたからすぐに異動することができました。でも後悔しているのはもう少し粘りが自分には足りなかったのかなあと思っています。

よくすぐに合わなくて辞めてしまうのはもったいなくて、少しは我慢して、仕事をする必要性はあると思います。これからは仕事を辞めたいと思ったら何故辞めたい理由を自分にといてください。わがままな自分もいるかもしれませんし、上司のパワハラやセクハラやいじめなどがあるかもしれませんし。そうした時は副業するのも一つの手かなあと思います。副業して収入源をたくさん持っていると足かに安定すると思います。

パワハラももしかしたら身分保証がついたら精神的に安定して働けると思います。組織は上にいけばいくほど、いろいろ知ってしまい、利益相反をしている人もたくさんしますね。仕事を辞める覚悟はかなりな精神的なものや、経済的に損失がたくさんで努力はたくさんあります。ぜひとも自分は会社に縛られたくない社会作りをしたくなくなりたす。会社を辞めたいと思った経緯などはかなり大事だから、しっかりと経過と上司の、相談をした方がいいと思います。ネットは自宅で企業もできますから。

これからは個人の働き方が変わっていきますので注意をつけるのも大事になってくると思います。無理だけはしないでくださいね。

心が折れてしまい、IT系での営業を辞めることにしました

新卒で入社したIT系の企業。
営業職は、今時珍しいバリバリの体育会系の企業でした。
毎日のテレアポ、お客様だけでなく上長からも怒鳴られる日々。
残った仕事を片付けるため、土日の出社は当たり前。
精神的にも体力的にも辛く、プライドはボロボロで、毎日泣いていました。

しかし、私は簡単に辞めようとはしませんでした。
すぐに辞職して第二新卒として就職活動を再開させても、ろくな就職先なぞそうそうない事を理解していた為です。
また、営業職として成功されていた先輩方は、皆さん非常にかっこ良く、ケタ違いの給与を勝ち取っていました。
「今まで散々親不孝してしまったのだから、耐えて稼いで、親孝行をする」
その思いが非常に強かった為、不思議と会社に対する愚痴は起きなかったものです。

実際、仕事は難しかったものの、沢山の印象に残る経験をさせて頂きました。
上場企業の役員クラスのクライアントの接待、社長との面談、同期との派手なストレス発散…。
「俺はきっと正しい道を歩んでいるのだ!」そう確信していました。

しかし、やる気とは裏腹に、私の能力の向上は非常にゆるやかなものでした。
入社後4ヶ月にして、上司のアシストもありようやく契約を一本頂いたのですが、その後は連戦連敗。
同期は次々と去っていきましたが、残った同期は非常に優秀。
成果を残し続ける同期と自分を比較し、焦りばかり募りました。

営業マン失格を言い渡されたのは、そんな時でした。
「結果も残せてないヤツが、何営業なんて名乗っちゃってるの」
役員からの厳しいツメ。悔しかったですが、事実その通りでした。
何も言い返せず、降格を受け入れました。

こうして私は、営業マンの下で働くこととなりました。
元同期の雑用をするのは、精神的に苦痛でもありました。
ですが、ここで泣いても仕方がない。必死に耐えて、いつかは成功する。
そう思いながら、努めて明るく雑用でも何でもこなしました。

そんな頑張りが認められたのか、雑用係としてはなかなかの評価を得ました。
今までロクに認められなかったもので嬉しくなった私は、喜んで土日も一生懸命働きました。
そして、さらに評価は向上しました。
時には体調を崩した営業マンの代わりにお客様と話すなど、再び営業マンとしての仕事をこなすこともありました。

ですが、そんな希望に満ちた私は、遂に心が折れることとなります。
4月の時点で提示された給与は、現行のものを下回る額。
さらに、「勘違いしているみたいだけど、お前あんま価値出てないよ」という上司からのツメ。

頭が混乱しました。
そして、休職手続きを行い、そのまま退職という形になってしまいました。
休職中は、一日中自宅で泣いていたような気がします。

今思えば、もう少し忍耐が必要だったと思います。
「価値が出てない?じゃあ価値を出してみせますよ!」という心意気があるべきだったと思います。
しかし、それと同時に自分はそもそも力不足であったのではないかとも思います。

仕事は楽ではないことを、厳しく教えてくださった企業でした。
当時は少し恨みはしましたが、今となっては非常に感謝しています。