ルンルンな給料日は…まさかの説教日。

大学の専攻は当時では珍しかった観光学部でした。

 もともと私は英語が好きで、どうせ英語を活かすなら+αで何か他の学問と絡めてそれを仕事にしようと思い、登山サークルと朝晩のバイトに明け暮れて単位が危ないことになっていた大学をなんとか卒業。

 新卒で入社した会社を、自らの意思で僅か2ヶ月で退職しました。

 当時は『若者は3年で仕事を辞める』といったタイトルの文庫本も売られていたので、転職が身近になってきた今に比べれれば私はよっぽどの根性無しに見えていたことでしょう。

 新卒で入った最初の就職先は、テレビCMも流していた教育系大手出版社の子会社でした。

 なぜか3月に泊まりがけの入社式があり、そこで朝から晩まで課題としてひたすらやらされたのが子供向け英会話教室の体験レッスンを親御さん相手に勧めるロールプレイングです。

 レクリエーションルームに集められてはうさん臭い営業トークを相手を変えながら延々とやらされるのです。

 終わったらみんなの前で発表し、各所長の納得のいくロールプレイングができるまでご飯とお風呂はお預けでした。

 真剣にやってないペアはガタイのいい強面の所長に「ふざけてんじゃねーよ!真剣にやれ!」と怒鳴られていましたね。

 あまりのしごきのキツさに耐えきれなかったのか、翌朝の朝礼では脱走者が1人でたという報告がありました。

 辞めるとき、あの時脱走した彼は正解だった、勘が良かったんだなと思います。

 各所長達の怒ると人格が豹変するところ、いつも一カ所に集まって女性の所長でもタバコをプカプカ吸いながら和気あいあい、というよりはヒソヒソコソコソ隠し事でもしているかのように喋っていた異様な雰囲気を嗅ぎ取っていたのかもしれません。

 いざ入社してみるとまず出社時間が暗黙の了解なか、き規定の時間よりかなり早かったです。

 結局は「誰よりも早く出社して、熱心にロールプレイングを練習しているヤツが偉い」というような空気が社内に漂っていたのです。

 辞めた後から気になって2ちゃんねるのスレッドをかなりの量見ましたが、私の引っかかった会社は教育業界では名のしれたブラック会社でした。

 それもそのはず、「すみません、その時間は今他の人のレッスンで埋まっちゃってますね〜。」と、ありもしないレッスンのスケジュールを伝えあたかも人気がある教室であるかのように『ものは試しですよ。』などと言って親御さんを騙すわけです。

 体験レッスンのアポが取れたお宅には後からデモンストレーターがその成績優秀者の懐をホクホクさせる元であるバカ高い英会話学習教材と共に訪れ、どうにもこうにも断れない巧みなトークで契約書にサインさせてしまうのです。

 私はといえばもともと時間外の労働に価値はないと思うタチだし、何よりうまくウソをつくことなどできないので、当然アポは思うように取れませんでした。

 更に新規開拓で茨城の片田舎まで行った日には営業所に戻るのが21時という日もあり、その後やる気をアピールしたい人はまだまだ先輩相手にロールプレイングを披露するわけです。

 こうして『会社に長時間居続ける=仕事熱心の負けず嫌い』と見なされ、次第に最初からターゲット顧客の多い地区の営業地図が従順でかわいい社蓄に渡されるようになり、勝ち組のスパイラルにうまく乗った人だけが残っていくという仕組みなのです。

 そんな波に乗るどころか溺れて足をバタつかせていた私にとっては、「来月はいくつアポ取るんだ?」と所長にジリジリ迫られる現金手渡しの給料日は説教日。

 本当に「で、これからどうするんだ?○○。」という風にまるで退職を促しているかのようにも聞こえたので、見切りをつけてさっさと退職してやりました。

 ま、そんなんで辞めてたまるか!と思える人だけがきっと生き残っていきやすい会社だったのでしょう。

 今思い出してみれば先輩方の乗ってる車、みぃんな高級車でした。

 よっぽど羽振りが良かったんでしょうねぇ。

 こうやってグダグダ愚痴ってるだけでもスッキリしてしてきたので、私にとっては辞めて正解だったと言い切れます。

 あー、せいせいした!(笑) 

ブラック商社で営業をしているが、すぐにでも仕事を辞めたいと思っている

ブラック企業という言葉をよく耳にするようになりましたが、私の経験は色で言えば緑です。
労働時間や給料など、ブラックと言われる企業ではありませんでしたが、毎回首を傾げることばかりでした。

最初に気になったのが、採用面接の際には全く気にならなかったのですが、社内が暗いのです。

節電という言葉をよく耳にする時代になりましたが、字を書けない、読めないくらい暗いのです。

経費節約という言葉をよく使う会社でしたが、やりすぎでした。

働いて数日で気になったのは、社内での会話が全くないことです。

休憩時間も各自もくもくと食事をとり、全く話をしません。

仕事に対する疑問、質問もしにくい環境で、本当に息苦しかったです。

営業として入社した以上、同行というものがありました。

未経験の業界・職種だったため、同行があり安心したことを覚えています。

しかし、同行の際に運転する営業マンの運転が、あまりにもひどいのです。

雨の日は、ワイパーを最高速で使用する操作能力と、急発信・急停車を繰り返す運転技術は、一人でも絶対にやらない運転でした。

毎日車酔いの日々に3ヶ月耐えましたが、二度と経験したくない体験です。

例の暗い社内では、表裏ありありの発言を聞く日々でした。

小さい会社で、年齢もバラバラ、仕事も分担してやっていかねくては進まないのに、これでは何も進みません。

自分はこの会社で何ができるのか、真剣に考える日々でした。
退職の決めてとなったのは、全く定まらない会社の方向です。
会議という名の講演会を聞きながら翌日から実行に移すのですが、数日で方針が変わりました。
再度方針を確認したところ、会議の内容は最初からなかったかのようになっていました。
ここまでブレた会社で働いたのは、この企業が最初で最後です。

退職を考えたのは、全く見えない未来と、仕事に対する意欲の低下でした。
仕事をするにはモチベーションが必要です。

営業職のモチベーションは社外での仕事の成果にあると思っています。
どうやって相手に理解してもらい、ものを買ってもらうかを考えるのが営業の仕事の楽しさだと思います。

同行が終わり、単独で営業することになってからも、日々の報告はもちろん、お客様と電話で話した内容まで逐一報告を義務付けられました。

会社員である以上、管理されて当然だと思いますが、営業を管理する前に、社内の管理をすべきだと、日々感じていました。

この経験をもとに、新しい企業を探し、今は本当に恵まれた社会人生活を送っています。
不思議な企業に勤めた経験から、求人を見る際も注目する場所が変わりました。
あの経験があったからこし、今の自分があると思います。

こちらのブログには理系ブラックな仕事を辞めたいという内容の記事しかありませんが、私が作成している大規模なブログがあります。

サイトタイトルは仕事を辞めたい理由教えて!というもので、多くの読者からコメントを貰っているサイトです。

ぜひ、こちらのブログも併せて参考にして下さい。

⇒ 仕事を辞めたい理由教えて!

技術営業アシスタントを英語が苦痛になり辞めました

派遣スタッフとして勤務することになったのは半導体メーカーの技術営業のアシスタントです。
同業の経験はなかったのですが、滞りなく事務作業を受け持っていました。
仕事内容としては、受注の受付、在庫の管理、出荷の処理、所要の管理、雑務処理で、難しいと思う業務はほとんどありませんでした。
ただ唯一困ることがあったのは「英語」です。
派遣の条件として英語は提示されておらず、面接で確認した時も英語が出来なくても問題ないとのことでしたが、やはりこの世の中英語から逃げることは出来ないんですよね。
日常の業務を行う上では、取引企業は日本の会社ですし、社内外の担当者も日本人である為英語ができなくても不自由なことはありません。
英語が必要になってくるのは、時々海外の支店の人とやり取りをする時、突然の英語の電話くらいで、パソコンの翻訳ソフトでなんとかこなしていました。
ですが、私もある程度はスムーズに英語での作業や会話ができるようになりたいと会社で募集している英会話のレッスンを受けたりもしましたが、必要にかられていないせいか結局身に付きませんでした。

そうして会社生活を送ること9年。
予想もしていなかったことが起こりました。
それは会社の倒産、外資系企業への吸収合併。

私の会社生活は一変しました。
同業者ではありましたが、会社が変わった以上業務が変わるのは仕方ありません。
ですが、相手は外資系企業。

本社や部署のトップはアメリカ人で、社内での共通言語は必然的に英語ということになったのです。

配属されたのは日本の支社でそこで働いている人は全員日本人なので、仕事を教えてもらう上で困ることはまったくありませんでした。

でも、困ることが圧倒的に多いのです。
まず、「会社共通のマニュアルが英語」

わからないことを探そうと思ってもどこを読めばいいのかわかりません。
そして「数字の取りまとめをしている人が外人」

日本語だと容易に説明できることを英語で説明しなければならない。
「出荷の依頼をする部署がアメリカ」
細かい指定の連絡を英語でしなければならないのですが、どう訳せばいいのかわからず仕事が進みませんでした。

「会議の主催者がアメリカ人」
会議も英語、資料も英語、翻訳しながらなんてまったく追いつかず、数時間苦痛な時間が続きました。

おまけに会議中は一緒に参加している人も通訳はしてくれませんでした。
そんな毎日を送っている中、パソコンで行う社内教育もこなさなければなりませんでした。

問題も選択の答えもすべて英語。
説明動画も英語。
もうお手上げです。

言葉の壁で仕事が思うように進まず、毎日終電近くまで働いている状態で約半年が過ぎた頃、もう精神的な苦痛が限界になり辞めることを考えるようになりました。

その頃ちょうど結婚の話も進んでいたので運よく寿退社という形で会社を辞めましたが、もし普通に辞めるとなると色々面倒だったんだろうなと今思ってもゾっとします。

やめてからの気分の爽快さといったら言葉では言い表せません。
忙しすぎるより精神席に追いつめられるほうが疲れが倍増するものなのだということを実感した半年だったように思います。

半導体製造の大企業に見切りをつけてステップアップ!するため会社を辞めました

私が会社を辞めたのは52歳の時です。

仕事内容は半導体製造メーカーの技術営業を担当しておりました。

長年勤めた会社を早期退職し、起業しました。現在は小さな会社を経営しております。

辞めた理由は大きく4つあります。

  1. 情実人事に嫌気がさしたこと
  2. 長年早期退職して起業したいという夢があったこと
  3. 会社に早期退職制度ができたこと
  4. 子供たちが自立したことこの4つです。

恐らくこの4つの理由のどれかがかけていたら、退職しなかったと思います。

特に2)から4)の理由です。最大の理由は1)の情実人事です。

どの会社にもよくあることだと思います。

これは私の感覚ですが、昇進している人間の8割程は上層部の受けが良い人間で占められていました。

こんな程度の人間がという人間がポストを得ていることに腹立たしく思っていました。

そもそも、改革意識の高い人間は、上層部の理不尽な政策に黙っていません。ところが、黙って従う人間ばかりが昇進します。

サラリーマン社会は、組織ですから、事を荒立てない人間で上層部を占める方が得策ともいえますが、そういう情実人事で会社を運営しているから、多くの日本企業がグローバルな闘いで勝てなくなり、商品のサービスも生まれず、経済が長期に停滞していると考えています。

改革意識は、企業存立の意義として芽生え、発言しているのに、こういう人間は黙殺されます。私が典型的でした。見方を変えれば使い難いと判断されたのでしょうが、そうであるならば会社にいる意味が無い。

勤務するモチベーションは下がる一方の時に、理由の3)と4)が現実化したのです。会社は巨大な赤字を計上しました。

リストラという必要も出て来ました。とはいえ、巨大企業であり、労組もあり、福利厚生面でも優遇されている会社でしたから、いきなり管理職を解雇というようなことはできません。社員全体に希望退職を募るという制度が急にしかも短期的な決断を求められて発令されたのです。

多くの社員は親方日の丸の人たちなので、この制度を積極利用しようとはしませんでしたが、上記のモチベーションがある私にはうってつけの制度に映りました。即決断し、会社が制度化したこの早期対象制度を使って、長年勤めた会社にけりをつけました。そして、数ヶ月のうちに起業し、現在に至っています。こういう選択をする人間は、日本の社会では多くは無いと思いますが、申し上げたいのは、理不尽な会社の対応に我慢するだけが人生ではないということです。

仕事は困難が多いもの。その困難のひとつに人事も含まれます。

人事というのは、差別的だと感じることがあるものです。その原因を探ると、会社の方針に合致しているのか合致していないのかにかかわる、意見対立が大きいと思います。情勢に応じて会社の判断は変わるもの。

その時々で良し悪しは変わります。大事なのは、自由闊達に意見が言える組織化どうかだと私は思っています。その結果、決まったことには従わざるを得ません。そうでなければ組織は成り立ちませんから。

しかし、そもそも自由闊達な議論をつぶし、現経営陣に異論を唱えるだけでつぶされてしまう組織なら、会社という組織としての存立意義をそもそもなしていないと思うのです。

そういう会社には将来性があるとは思えません。多くの方々が、そうはいっても長年勤め、愛着もあり、他に用意に食につけないと思えば、我慢して勤務するのでしょうが、自分の人生哲学や、精神状態の忍耐を超えてまで、しがみつく必要は無いと考えます。

その為にも、きちんとした自己を日々作っておく必要があります。どんな状況でも躊躇せず、行動できる自分であることが、会社に残るか退職するかという、人生の大きな判断の場に、圧倒的に必要だと思います。

ITベンチャー企業への転職、結婚、ストレスが重なりうつ病に!

元々、5年ほど前からパニック障害を患っており、薬の副作用からか体調不良が多かったり、気分の優れない時が多かったです。
けれど、月に1度の通院と、毎日の服薬のおかげで仕事には特に支障なく働けておりました。

付き合っていた彼と同棲を始め、大手のベンチャーIT企業へ転職をすることができ、六本木ヒルズのオフィスで働くという夢に見た生活を送っていました。
しかし、同棲していた彼と結婚して1ヶ月ほど経ったくらいから、疲れがとれなくなりました。

最初は毎日の残業や、優秀な人材が私の後からたくさん入社してくるようになった為、よくある社会でのストレスだと思っていました。

それから暫くが経ち、朝起きたら身体中が痛くて起き上がれなくて会社を休むことになったり、休みの日は何のやる気も起きず1日中寝ていたり、慣れているはずの電車で急にパニックに陥り会社を遅刻したり、急に涙が止まらなくなったり、好きだった料理も作らなくなったりとと、自分でも異常を感じ始めました。

家に帰っても常にイライラし、夫に当たり、同棲して半年くらいは全く喧嘩をしていなかったのですが、私の言動や行動で夫と言い合いになることが多くなったりと気持ちも寂しくなり始めました。

そして、ある時の喧嘩の際、夫に「ここ1ヶ月くらい◯◯の優しかった目がすごく険しい目になっている」と言われ、ハッとしました。

自分のことしか考えておらず、自分だけが大変で苦しいと思っていましたが、一番近くにいる人にも悲しい思いをさせ、たくさん迷惑をかけてしまっていたんだと気付きました。

それから暫くは実家から会社に通うなどしていましたが、実家でも何もせずに1日が過ぎていき、やはり普通の状態ではなかったようで、両親には肩書きは捨てて、会社を辞めることを勧められました。

義父、義母も心配してくださり、すぐにでも会社を辞めるべきだと言われました。
そして、病院に行った結果、病名は【うつ病】。

恐らく、結婚して自然と出てきた責任感や、仕事をしていても家事を100%こなしたい気持ち、仕事ではもっともっと上にあがりたいから120%の力でやろうと気張り、勝手に自分で自分を追い詰めてしまい、その結果が【うつ病】でした。

結婚生活には何の不満もなく、夫は何に対してもとても協力的で、仕事を辞めることに関しても賛成してくれています。

家族皆の意見も踏まえ、現在休職をし主婦生活を送っていますが、自分の為にも家族の為にも、一旦仕事を辞めようと考えています。

結婚してもバリバリ働くことが私の夢でしたが、実際理想と現実は違うんだなと実感しています。

ずっと仕事をしてきていたので仕事を辞めることには物凄い迷いがありますが、また完全に復活できると言い切れる時がきたら、社会復帰をしたいと考えています。

欠陥商品を開発して責任をとらない技術者と、尻ぬぐいさせられる技術営業

私が結構前にブラック企業に勤めていた時の話です。

その会社は某電子機器メーカーで、名前こそ知られていませんが、皆さんが1日街を歩けば必ず見かける商品を作っている会社です。
当然ながら、収益性も高いし、対外的には一流メーカーということになっています。

私がその会社に転職したのも、ある程度将来性が期待できること、当時26歳の私が技術職に就く条件を提示されたことが志望動機でした。

就職してみて、会社の収益率は本当に高いことは実感しました。
しかし、私が配属されたのは技術職ではなく営業職(正確には営業技術)でした。
はっきり言って、その時点で辞めるべきでしたが、私は「営業技術」という言葉に騙されました。

その会社では、一応は技術研修は受けさせてくれたのですが、到底同業他社企業の程レベルのものではありませんでした。
また、会社が金を出す以上、習ったことはすべて公開するルールが有りました。

例えば、プログラミングの講習を受講した時のことです。
私は、習得したプログラミング技術を使って、テキストファイルを暗号化するサンプルを作成し、発表しました。

しかしながら、偉いさんが、「俺は素人だから、お前がやっていることはわからん」とか好き勝手なことを言い、

MS-DOSとかOSの説明をさせられた上で、私が用意した説明資料を紙の無駄だと罵倒する等されました。。。
これだけでも、充分にやる気をそがれます。

しかし、私が本当に辞めたいと思ったのは、会社が作っている商品が欠陥だらけで、会社がその欠陥を直せないことです。

私の部門は、会社の主力製品ではなく、今後伸びるであろう製品を販売していたのですが、その制御ソフトウェアに不具合が大量にあったのです。

例えば、その製品にデータ転送する際に、ライバル企業の10倍の時間が掛かるとか、複雑なデータを作成するとデータが不可逆的に破壊される(パーツを100個以上配置するとデータが壊れる。一旦壊れると、99個に減らしても復旧しない等。)

このような不具合の為、私は顧客を回ったりしてサポートし、毎日終電で帰宅してました。
しかし、製品の開発者は19時位で上がってしまう有様です。
要するに、製品開発のマネジメントが出来ていなかったのでしょう。

結局、やりたい仕事でない上に、開発者の不具合の始末を私がつけることに納得できず、会社をやめることにしましたが、
その会社は、就業規則として、「会社を辞める人は有給を取れない」という訳の分からない社則を作ることも忘れてません。

私は、スキルを磨いた人が報われず、社内の政治力学で残業時間が決まるような職場はこりごりですが、転職しないと分からないことも多く、困ったものです。