商品開発プロジェクトと責任を取らない上司にはさまれて

数百人規模のIT企業に努めて、商品開発部門に所属していました。素晴らしいシステムを開発して商品化するのはやりがい
がありますし販売が成功すれば大きな評価も得られました。慢性的に忙しかったのですが、やりがいを持って仕事に当たってい
ました。会社の中では中堅というポジションになり、担当分野では好成績で仕事が出来ていました。

 ある日会社の幹部に呼ばれて、新プロジェクトを立ち上げるから参加してくれと言われました。今までの自分の得意部署にも
関連があり、社内でも話題になっていたプロジェクトだったので、喜び勇んで参加を表明しました。いよいよプロジェクトが開
始されて、プロジェクトの責任者に関係者が呼ばれて最初の会議が開催されました。具体的なプロジェクトの進め方、目標とな
るノルマ、運営体制などが説明されました。私はその中のサブマネージャーとして責任のある役目を頂いたのはうれしかったの
ですが、自分の得意分野への戦略がまったく出来ていなく、体制も弱いと思われるものでした。大きな不安を抱えたスタートに
なりましたが、日々の実務の中で軌道修正をかけていけば何とかなるかと思っていました。

 責任者は営業部門の部長で商品開発に関しては素人でしたので、目的の商品の品ぞろえはどれだけ必要か、どれだけコストと
期間がかかるか等の事は、まったく考慮が甘く都合の良い売上目標だけ決めて、早く商品開発しろと命令するだけです。商品を
開発するには市場調査をしてどんなシステムにどんな機能を持たせて、どのような価格を設定するか決めるのは至難の業です。
それを複数同時進行で作って売れないと、目的の売り上げには到達しません。商品開発を長年やってきた私には、無茶な要求に
思えました。売れる商品ひとつ作るのも簡単ではありません。

 経験的に、それまでかかわってきてよく売れていた商品の進化版を開発して、市場に出しましたが、売り上げが足りないと
その責任者から日々催促されます。死ぬ思いで複数の商品の設計をして開発を進めましたが、開発部門の火の車状況になりま
した。外部に委託する開発費用もなかなか出してくれないため、商品作りも進みませんでした。責任者は社長に大変耳触りの
良い報告ばかりしていたので、社長の期待も大きくなっていきました。しかし、プロジェクトは遅々として進まずやっと商品化
出来たものをなんとか販売に踏み切るので精一杯でした。責任者とも開発担当者としてなんどもぶつかり、このままでは失敗
すると言い続けましたが聞き入れられませんでした。2年ほどたって大きく目標を下回る結果になってしまった時、管理者は
社長にこのプロジェクトの失敗は開発担当の私の責任と報告し、社長もそれを認めて直接私が叱責されました。

 さすがに私も2年間の激務と上司の責任転嫁の姿を見て、この会社ではまともな仕事ができないと考え転職を考えました。 

キャリアを積むことができない運用オペレーター

私は、約4年間運用オペレータの仕事をしました。

24時間365日、窓がなくて光も入らず温度も一定に管理されたマシン室でシフト勤務をしました。

仕事はほぼルーチンで特別な知識は必要なく、用意された手順書に従って定型業務をこなすのが仕事でした。

仕事はそれほどきつくありませんでしたが、昇給はほとんどありませんでした。

私もIT業界で仕事をする前までは知らなかったのですが、IT業には商流があり、大手企業が自社でやりたくないような仕事を下請けに投げるという仕組みがあるのです。

私の会社は、そのもっとも下流の仕事を請け負うことしかしない会社でした。

そのために給料が安いばかりでなく、キャリアアップすること、すなわち上流工程の仕事をする機会は永遠にないのです。

しかし、私の業務は技術力が向上しないのですから、経験を積み重ねても自分で勉強しても、上流に食い込むことはできません。

自分の境遇に将来の不安を感じていましたが、かなり年配の先輩もいるので腐らずに一応真面目に働いていました。

しかし、そんな私も結婚をして子供ができると生活するためにお金を稼がなくてはいけなくなりました。

会社に状況を説明し、もっと働くことはできないか、単金の高い仕事に就けないか相談しましたが、そう簡単に事は運びません。

やむなく、私は転職を決意しました。

転職先は中堅のSIで運用はほぼやらず、上流の構築がメインの会社でした。

私は当時30歳で、その会社の中ではかなり若く、将来性も考慮して頂いての内定だと思います。

給料は2割ほど上がりました。

社内ではエンジニアがスキルを磨くための環境があり、構築に必要な環境と手順がある程度揃っています。

その手順を見ながら、初めて触る仮想環境で構築をしました。

しかし、理解力に乏しい私がやるとどうしてもうまくいきません。

あるパラメータが不正値のまま、どうやっても解決しないのです。

オペレータの時に与えられていたような完成されたマニュアルではなく、構築手順はエンジニアのメモのようなレベルでした。

あの時に先輩に言われた言葉は今も忘れません。

「これは本番環境ではなく、時間かかってもいいから原因を自分で調べろ。お前はエンジニアだろう」

結局は、一つのパラメータを修正するために丸二日かかりました。

しかし、今までIT業をやっていながら自分で何かを作ることをした経験がない私は、エンジニア扱いされたのは初めての経験でした。

逆に言えば、エンジニアなら自分が作ったものが動作しなければ原因を突き止めるのは当たり前のことなのです。

給料が上がった分、責任も重く感じましたし、必死で食らいつくために勉強もしました。

その後、私は技術的なスキルを少しずつ覚えて構築の業務をすることもできるようになりました。

改めて思い返すと、転職してなかったら自分がどうなっていたのか考えると怖いですし、今の会社に転職して良かったと思います。

IT業界だとスキルアップのために転職するのは効果的な選択だと思います。

運用オペレータに限らず、同じ仕事をずっと続けると新しい技術や知識を得る機会も狭めてしまう可能性があると思います。

CADインストラクターの仕事は多種多彩で想像以上に大変でした。

CADのインストラクターを5年していました。器械系CADのアプリケーションを開発・販売している会社でインストラクターという位置づけでしたがその仕事は多岐に渡るもので毎日いろんな業務を立て続けにこなしていました。
メインの仕事はCADを購入していただいた企業様に出向いてアプリケーションの使用方法や簡単な製図方法をインストラクションすることでしたが、それに付随した電話でのサポート業務、トラブルシューティングの対応なども日常的に行っていました。
それだけですとどうにかルーティン作業として回せるのですが、最も大変なのはアプリケーションソフトの新バージョンがリリースされる前後です。
中小企業でしたのでマニュアル作成やHP上でのWEBマニュアルなども自分たちで作成しなければいけないですし、バージョンアップされるソフトの動作確認や簡単な製図作業も行わなくてはいけないため、リリース前後は始発・最終電車は当たり前、土日もない状態でした。
リリースも無事終わりほっとするのもつかの間、次はリリースしたソフトを保証期間内のユーザー様にソフトを送る作業を行います。その作業ももちろん私たちインストラクターの仕事でした。
私は初めて正社員として働いた会社だったということもあり5年ほど頑張りましたが、最後のほうにはリーダーという位置づけになり、クレーム対応や他のインストメンバーのフォローなども通常業務にプラスされ体がいくつあっても足りない状態でした。
寝ていても夢で電話サポートの夢を見るし、起きていても平面図を立体化してみたりとかなり職業病がひどかったです。

最後のダメ押しで、地方のユーザー様の講習で約1ヶ月土日意外は企業様に入り長期的に講習したことでした。
平日は朝から夕方まで講習でホテル住まい、そして金曜の夜に船と新幹線を乗り継ぎ家に帰り、日曜前のりで現地に入ってホテル泊という生活でした。
嫁入り前なのにどうしてこんな生活を続けているんだろう、と夜な夜な考えそして講習が終わった1ヶ月後に会社に戻ってすぐ辞表を提出しました。

小さいソフト会社はプログラミングから商品発送、サポートまですべて自分たちでしなければいけないのでSEも寝る間を惜しんでプログラミングしないといけないため体を壊したり精神的に異常をきたしたりする社員さんも多くいらっしゃいました。
挙句の果てに売上が芳しくなければボーナスも減額されるという悪循環で長く続けられる仕事ではないと実感させられました。

仕事の理想と現実で悩んだ

私は3回の転職を経て、とあるベンチャーのシステム開発会社に入社しました。
ベンチャー企業を選んだのは今までの自分の経験をフルに活かせる環境を求めていた為です。
その会社は設立1年目でちょうど地方都市から大都市へ移転するとの事で私の通勤圏内にもヒットしました。
設立間もない会社なので給与面・その他待遇面では前の会社よりはるかに劣りましたが、私0歳を目前にして自分たちで会社を作っていくという社風にやりがいを見いだし
大企業に別れを告げて次なるステップに進みました。
最初に勤めた会社が超ブラック企業でサービス残業や徹夜は当たり前だった為、ちょっとやそっとの激務は苦にもならなかったし
理不尽な要求や急な仕様変更なども慣れのせいなのか、それなりに捌く事ができました。
そうこうしているうちに社内でも信頼を得る事が出来、複数プロジェクトの開発を掛け持ちながら新入社員の指導を行なったりプロジェクト管理を行い、身体や精神はくたくたでも慌ただしく充実した時を過ごしていました。
そんな生活が狂いはじめたのは3年程経った頃でした。
初期メンバーの着々とした努力が身を結び会社の規模も少しずつ大きくなってきて今までは経験者のみの求人募集でしたが、新卒や未経験の新入社員を迎える事が出来るようになりました。
新卒を迎えるということは言わば最初は投資はなので一人前に育てあげるまでは大変なのは百も承知なのですが実際にはまた会社にそこまでの底力が無かった為、一気に初期メンバーにシワ寄せが来ました。
自分の工数以上の予定をこなしながら新人教育を行う。社長からは「新人は一刻も早く、1週間以内に戦力になるよう指導して」という無茶振りもあり定時内は新人教育メイン、定時後サービス残業で担当プロジェクトの開発作業というスケジュールをこなしていました。
本当にハードでしたが会社の未来の為と思うと不思議と気力が湧き楽しんでやっていたと思います。
しかし、それすら奪われる時がきました。
少しでもお金が必要という理由で私は担当プロジェクトから外され、大手システム開発会社に出向に出てくれと打診がありました。
「なぜ私?」「せっかくプロジェクトも順調、新人教育もうまくいってるのに!」
私は憤りを隠せませんでした。そもそもこの会社に転職したのももう出向生活にうんざりだったからというのも会社側にはきちんと伝えていたのに。
でも社内には大手に出向に出せるスキルの人材が私以外いなかった事と単価の良さの為、泣く泣く出向に出る事になりました。
本当に悔しくて、出向先ではほぼ定時通り退社出来たり稀に残業があっても破格の残業代が出たにもかかわらず何故か気持ちが沈み自律神経失調症になってしまいました。
先方の会社に迷惑をかけてしまうのは避けたかったので数回の延長には応じましたが晴れて任期満了になった時、スッパリ自社も退職しました!
思い返せば私のワガママでの退職だったと思いますが、今は社員の気持ちを大切にする会社と巡り会えて本当に良かったと思います。

WEBデザイナーは残業が多すぎて精神的に辛いです。

私は昔からデザイン関係の仕事をしたいとずっと思ってきました。

前職はIT系とは全く関係のない営業事務での仕事をしていました。

しかしどうしても夢をあきらめきれず、一年間WEBデザイナーになるためのスクールに通い続けて、転職をして晴れてWEBデザイナーになることができました。

IT業界で働くことは初めてだったので最初はとても不安でしたし、実務経験は全くなかったので未経験扱いとして求人も応募しなければならなかったですが作品作りも本気で行って、熱意をしっかりと伝えたのが良かったのか転職活動は約1ヶ月間で終えることもできました。

入社をしたのはWEBサイトやアプリの開発も行なっている中堅の制作会社でした。

社員は約50人ほどで私と同じように未経験から入社をしてきた社員もいると聞いていたのでとても入りやすかったです。

最初はWEBデザイナーというよりはすでにいるデザイナーのアシスタントを行なっていました。

デザインの簡単な修正や、HTMLやCSSのコーディングなどももちろん行なっていました。

あとは会議室をとったり、時にはクライアントとのミーティングにも参加させてもらい日々毎日勉強で、とても刺激的で楽しかったです。

しかし入社して仕事にも慣れてきて、いろいろと仕事を任されるようになると、だんだんと残業も増えるようになりました。

入社したての頃は、定時に帰社できたり、遅くても二時間ほど残業をして帰るということが多かったのですが任されるようになってから1週間に3日ほどは22時から終電間際まで働いていました。

納期が近づくと会社に泊まり込みで作業をしていました。

会社にはベッドやソファなども用意されており、仮眠を取ることはできましたがさすがにこの日々が結構続くと精神的にボロボロになっていきました。

私は最初はデザイナーだしIT関係だから仕方のないと考えていましたが、同じスクールを卒業した人から話を聞くとどうも会社によって残業があまりないところもあるし、私の会社は残業がありすぎではと言われたのです。

私はこれが普通だと思っていたのでとてもショックでしたし、この残業時間は異常なんだと気づかされるようになりました。

現在は会社に内緒で転職活動を少しづつ行なっています。

面接などに行くと、残業時間がそんなにあるのはおかしいと同情されたりもするのでかなりショックですが、体を壊す前に気付けて良かったと思います。

次に転職する際は残業についてもしっかり考えて転職をしたいと思います。

『転職』航空機の整備士とグランドスタッフはブラック職種

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空に憧れる気持ちから私は空港関係の仕事に就きたいと小学生の頃から考えていました。昔は空を飛行機が飛び飛行機雲ができると「きゃっきゃ」と騒ぐ子供だったんです。

当時のことは良く覚えています。小学生くらいでしょうか、「先生どうして飛行機雲ができるの?」先生の答は「君は飛行機雲に興味を持ったんだね、その好奇心は大切だよ。自分で答を探してごらん。」

もしかしたら、ぼくが聞いた先生は国語の教師だったので、わからなかったのかもしれませんがそれからぼくの心に理系魂が芽生えました。

空への憧れを抱き続けてぼくはとうとう航空整備の道を歩むことになったのです。

理系の大学に進み、そして航空整備の道へ・・・

当時もおそらく今もでしょうが、大学を卒業してから航空整備の道を目指す人というのは余り多くありませんでした。むしろ少数派でしょう。

研究職ならかろうじていたでしょうが、私の場合はがっつり現場で整備がしたかった、航空機に触れたかったというのがあり、教授の「研究畑にいけるよ、推薦しようか?」という言葉を蹴り航空整備士になることにしました。

あの頃は夢がありました。

あまり航空業界に詳しくない人のためにご説明します。

航空業界は飛行機に搭乗する「パイロット、キャビンアテンダント」

地上、つまりは空港内で働く「グランドスタッフ、航空整備士」に分けられます。

つまりぼくは地上勤務員ということですね。

パイロット、キャビンアテンダントのように航空機に搭乗し働く人たちは良いのです。彼らはどれだけ過酷な仕事でも給料が高くなるので、搭乗手当、つまりはボーナスですね。

それに加えて、地上職の給料は非常に悪いです。いわゆるブラックですね。

航空整備士はその特殊な技術からある程度つぶしが利くのですが、グランドスタッフ職になってしまうとどうしても給料が低くなりがちです。

実はぼくは当時グランドスタッフをしている彼女がいました。

二人はいつも一緒にご飯を食べたり、デートをしたりと楽しい関係だったのですが、突然彼女が「グランドスタッフを辞めて転職したい」そう切り出しました。

どうして?空に憧れていたんじゃないの?すると彼女は「もちろんそうよ。グランドスタッフになったのもそれが理由だし、英語だってしっかり勉強したわ。でも、給料を考えてよ。こんなの転職しないと食べていけないわ。」

ぼくの仕事もかなり忙しい割には給料はさほど高くありませんでした。なにより、勤務時間が飛行機のフライトに左右されるという点がやっかいで空に憧れていたぼくでも転職を考えるほどでした。

ぼくは彼女の転職を止めることができませんでした。

だって、ぼくにはグランドスタッフとして毎日頑張る彼女の辛さが痛いほどよくわかるからです。

それからは航空整備士に対しての負の感情が沸き起こってきました。

わざわざ待遇の悪い日本のブラック航空業界にいる必要はない、海外に行こう。

そして、グランドスタッフの彼女と航空整備士のぼくはマレーシアのエアアジアに転職することになったのです。