部下に指導ができない元幹部自衛官が営業職に再就職

私は自衛隊に長年所属していました。自衛隊では日本国民を守るためにがんばろうという気持ちで入隊しました。そんな気持ちで20年近く所属していました。

自衛隊と言うのは、体力と共に気力がなければやっていくことができません。私は体力にはとても自信があったのですが、気力が萎えてしまっていました。

理由としては、私は幹部自衛官という立場というため、部下の指導をしなければいけませんでした。しかし、私は部下の指導には向いていないようで、部下を思ったように育てることができませんでした。その結果、優秀な自衛隊員が出てこないと言うことになり、私の責任になってしまったのです。

上司失格の烙印を押され、私は自衛隊で働く意欲がなくなってきてしまいました。

意欲がなくなってしまうと、自衛隊にいる意味がなくなってしまうと思い、辞めたいという気持ちでいっぱいになってしまいました。結局数か月後には辞めてしまいました。

自衛隊を辞めて、しばらくは何もする気にはなれませんでした。でも、また再就職先を探したいという気持ちになってきました。インターネットでいろいろ調べていたら、自衛隊から転職したという人のことが書かれてありました。

その書かれていたことを参考にして、転職活動を行うことにしました。主に転職サイトを利用して転職活動を行うことにしました。どうしても、良い求人が見つからない場合は、ハローワークを利用することにしました。私は営業の仕事をしたいと思っていました。人と常に接していたいという気持ちがあるので、営業と言う仕事が良いと思ったのです。

ノルマが厳しいかもしれませんが、もっと厳しいであろう自衛隊に所属していたので、少しくらいの困難では乗り切れる自信がありました。転職サイトで探していたら、たくさん営業の仕事を見つけました。条件の良いところに応募することにしました。無事に採用してくれる会社を見つけたので、とてもありがたかったです。

再就職成功例:営業職

再就職おめでとうございます。

自衛隊では部下に指導することが得意ではなかったようですね、次の職場では営業をやるということでまずはプレイヤーとしてガツガツ稼いでいってください。

ノルマがある仕事だと思いますが、公務員とは違いやればやるだけ給料が変わってくるのが営業職です。

ですが、最終的には役職が上がればまた部下への指導が必要になってきますが、幹部自衛官時代に学んだことが役に立ってくるでしょう。

それに幹部自衛官とは違い一プレイヤーから上がって組織のマネージャーになるという道のりをたどるはずなので、あなたにはそれが向いているのかもしれませんね。再就職先でも頑張ってください。

ルンルンな給料日は…まさかの説教日。

大学の専攻は当時では珍しかった観光学部でした。

 もともと私は英語が好きで、どうせ英語を活かすなら+αで何か他の学問と絡めてそれを仕事にしようと思い、登山サークルと朝晩のバイトに明け暮れて単位が危ないことになっていた大学をなんとか卒業。

 新卒で入社した会社を、自らの意思で僅か2ヶ月で退職しました。

 当時は『若者は3年で仕事を辞める』といったタイトルの文庫本も売られていたので、転職が身近になってきた今に比べれれば私はよっぽどの根性無しに見えていたことでしょう。

 新卒で入った最初の就職先は、テレビCMも流していた教育系大手出版社の子会社でした。

 なぜか3月に泊まりがけの入社式があり、そこで朝から晩まで課題としてひたすらやらされたのが子供向け英会話教室の体験レッスンを親御さん相手に勧めるロールプレイングです。

 レクリエーションルームに集められてはうさん臭い営業トークを相手を変えながら延々とやらされるのです。

 終わったらみんなの前で発表し、各所長の納得のいくロールプレイングができるまでご飯とお風呂はお預けでした。

 真剣にやってないペアはガタイのいい強面の所長に「ふざけてんじゃねーよ!真剣にやれ!」と怒鳴られていましたね。

 あまりのしごきのキツさに耐えきれなかったのか、翌朝の朝礼では脱走者が1人でたという報告がありました。

 辞めるとき、あの時脱走した彼は正解だった、勘が良かったんだなと思います。

 各所長達の怒ると人格が豹変するところ、いつも一カ所に集まって女性の所長でもタバコをプカプカ吸いながら和気あいあい、というよりはヒソヒソコソコソ隠し事でもしているかのように喋っていた異様な雰囲気を嗅ぎ取っていたのかもしれません。

 いざ入社してみるとまず出社時間が暗黙の了解なか、き規定の時間よりかなり早かったです。

 結局は「誰よりも早く出社して、熱心にロールプレイングを練習しているヤツが偉い」というような空気が社内に漂っていたのです。

 辞めた後から気になって2ちゃんねるのスレッドをかなりの量見ましたが、私の引っかかった会社は教育業界では名のしれたブラック会社でした。

 それもそのはず、「すみません、その時間は今他の人のレッスンで埋まっちゃってますね〜。」と、ありもしないレッスンのスケジュールを伝えあたかも人気がある教室であるかのように『ものは試しですよ。』などと言って親御さんを騙すわけです。

 体験レッスンのアポが取れたお宅には後からデモンストレーターがその成績優秀者の懐をホクホクさせる元であるバカ高い英会話学習教材と共に訪れ、どうにもこうにも断れない巧みなトークで契約書にサインさせてしまうのです。

 私はといえばもともと時間外の労働に価値はないと思うタチだし、何よりうまくウソをつくことなどできないので、当然アポは思うように取れませんでした。

 更に新規開拓で茨城の片田舎まで行った日には営業所に戻るのが21時という日もあり、その後やる気をアピールしたい人はまだまだ先輩相手にロールプレイングを披露するわけです。

 こうして『会社に長時間居続ける=仕事熱心の負けず嫌い』と見なされ、次第に最初からターゲット顧客の多い地区の営業地図が従順でかわいい社蓄に渡されるようになり、勝ち組のスパイラルにうまく乗った人だけが残っていくという仕組みなのです。

 そんな波に乗るどころか溺れて足をバタつかせていた私にとっては、「来月はいくつアポ取るんだ?」と所長にジリジリ迫られる現金手渡しの給料日は説教日。

 本当に「で、これからどうするんだ?○○。」という風にまるで退職を促しているかのようにも聞こえたので、見切りをつけてさっさと退職してやりました。

 ま、そんなんで辞めてたまるか!と思える人だけがきっと生き残っていきやすい会社だったのでしょう。

 今思い出してみれば先輩方の乗ってる車、みぃんな高級車でした。

 よっぽど羽振りが良かったんでしょうねぇ。

 こうやってグダグダ愚痴ってるだけでもスッキリしてしてきたので、私にとっては辞めて正解だったと言い切れます。

 あー、せいせいした!(笑) 

人間関係が悪化する一方なので、辞めたいが・・・。

私は、とある写真館のスタッフをしています。

今の職に就いて30年以上になるのですが、いくらこの仕事が好きでも最近は職場の人間関係が悪化する一方なので、正直一日だって会社に居たくない気持ちです。

最近、何かにつけて上司に文句の言われっ放しで、ほとほと参っています。

その上司は引退の日が近いので、私にしっかりやって欲しいという気持ちは痛いほどわかるのですが、指導の仕方に私の一番嫌いなことがあるのです。

それは「あいつは素晴らしい人間だ、あいつを見習え、あいつと一緒になれ。」などと、他の社員のいい所と私の悪い所を比較する事なんです。

その「あいつ」だって、その人のやっている事が100%すべての人に気に入られているとは限らないし、悪い所の一つもない人間なんているわけがないし、考え方もタイプも違うはずだし、同じになれと言われても出来るはずがない、はっきり言って無茶です。

私自身にも悪いところがあるのはわかるのですが、来るから帰るまで文句ばかり言われるのには本当にストレスも溜まります。文句と言っても、他の人は何も言われないぐらいの細かい事でも、私には言われるのです。

最近では朝起きると寒い時期なのに汗は出るし体は震えるし、朝は食欲もないし、会社に行って上司の出勤時刻が近くなると、心臓がドキドキして目まいがおこる事もあり、はっきり言ってうつの初期症状なのかなと思った事もありました。

すると今度は、身近にいるかなり年下(もちろん後輩)の社員までが調子に乗って、私の言う事、やっている事にいちいち文句をつけてくるようになりました。

ある日私はもう本当に耐え切れなくなって「人責めるのもいい加減にしろ、お前らは完全無欠の素晴らしい人間か、何一つ文句ないんか、俺はいい事は何もしてないんか、俺が居なくなっても会社は何も変わらなく仕事回っていくとでも思ってるんか!」そう言い放って外の仕事に出かけた事もありました。

言った後で大人げなかったとは思ったのですが、毎日の仕事に関しては皆に負けないぐらいの量をこなしているので、ついカッとなって言葉に出てしまい、3日間口をきいてもらえませんでした。

もともと何年も前から職場の人と合わずに浮いた存在だったので、3年ぐらい前から社長に退職を何度も申し出ていたのです。

しかしスタッフが少ない上にピーク時には人員不足になるので、退職しようとしてもなかなか受け入れてもらえず引き止められて、ずっと現在まで引っ張ってまだ勤めているのが現状です。

今日は久々の休日でこんな事を書いているのですが、明日からはまた文句言われる日々が続くのかと思うと、家出でもして行方をくらませたくなるぐらいなのです。

病院調理現場で意識の低い自衛隊と現場に呆れた。

高校を卒業し、専門学校で調理師免許を取ってからは外食系の調理師をしていましたが、

賃金に対しての拘束時間が長い事に納得が行かず、時間帯がハッキリしている病院調理に転職しました。

病院調理は時間帯と食数はハッキリして居ますが、他の調理関係の職場と同等に現場毎の待遇の違いが大きく、

雇われ方しだいで雲梯の差がありました。

自分は中途採用でしたので、三か月の採用期間の後、契約社員として現場に送り出されました。

最初の半年は病院特有の衛生や特別処理の内容を覚えるのに必死で瞬く間に過ぎて行きました。

やっと余裕が出て来ると、メニューは組み合わせによるローテーションで月一回の特別食が有る以外は同じ事の繰り返しでした。
そうなると如何に能率良く仕事を熟すかに意識が行きます。そして周りの先輩方の仕事に目が行きます。

普段から注意やアドバイスをくれる先輩は流石に能率も良く仕事も綺麗で機器のメンテナンスや細かな清掃も熟します。

対して指摘だけして仕事を押し付けてくる先輩は作業に追われ仕事も見れたものではありませんでした。

そんな先輩方は自分より歳が若くても正社員で在れば年二回のボーナスと自衛隊が規定している正社員の基本給がもらえるのです。

特に現場リーダーは10年以上もその現場に勤めて居るにもかかわらず仕事も遅く現場人員の評価もしないダメ上司でした。

自分は前職での経験を活かしたいので、宣言や提案を日々していましたが、取り上げられず。

上司から疎ましい扱いを受けて居ました。

現場では埒があかないので、自衛隊に掛け合いましたが及び腰で改善されませんでした。

更に保険証の発行遅れや社会保険料の計算間違いで不快な思いをしました。

仕事の出来る先輩方に「ここは前向きな仕事場では無く、給料をもらう為に来る所だ」と諦めた表情で言われました。

自分も三年間我慢しましたが、正社員に引き上げられる事も無くその現場に呆れて職場を去りました。
現在は忙しくも遣り甲斐のある職場を知り合いに紹介され相応の立場を頂いています。
今思うのは、日常の余裕では無く、自分が何をしたいのかが大切だった事が身に染みてわかります。

肉体労働が過酷すぎてトラック運転手を辞めたそれから自衛隊へ再就職

人付き合いが苦手だったこともあり、あまり人と関わらない仕事をと中距離のドライバーを選びました。たしかに人と関わることはありませんでしたが、その仕事内容は過酷でした。

仕事の内容としては、配車表に合わせて配達、回収を行うというもので、基本は決められた配達、回収が終われば1日の仕事は終わりです。

そのため朝が早くても、自分のペースで仕事ができて、早く終われそうなイメージはありました。しかし、実際は1日の走行は300キロ以上で、配達と回収を繰り返しながら走ります。しかも1つの荷物は20キロ近くあり、それが100や200個をざらに積み降ろしします。もちろん一人です。

それだけでも1日かかる仕事なのに、途中で電話がかかってきて仕事はどんどん増えていきます。自分で回るコースを考えていても意味がありません。また、早く終わるために仕事を早朝から頑張ったとしても、早く終わるなら追加で他に行ってくれと仕事が増やされます。

夏は、炎天下で20キロの荷物をトラックに100個とか積み込みます。2トンです。積んだものは下ろさないといけません。それも人力です。手積みと言いますが、それを1日に2〜3回繰り返す時もあります。2トントラック3回の積み降ろしなら、6トンの積み降ろしを人力でやっているんです。しかも毎日です。

夏は熱中症に気を付けながら、冬は、雪降る中で作業にしているうちに、腰や腕の間接を痛めてしまい、痛みをこらえての仕事になりました。

1度、上司にあまりにも過酷すぎると言ったことがあり、せめて自分のペースで仕事ができて、早朝から仕事したときは早くに帰宅できるようにしてほしいと言ったことがあります。すると、「それって、自分のことしか考えてないやろ!」と一喝され聞いてもらえませんでした。都合よく使っているのは自衛隊やろと言い返したくなりました。

かなり過酷な仕事場だけに怪我人も絶えません。荷物に手を挟んだり、積んでいる場所から落ちたりは当たり前です。疲れていても気を抜けない状態が続きます。これでは仕事を長く続けることは無理だと思いました。

自衛隊退職後にすぐに自殺

自衛官の寿命はなぜか短いです。

特に高卒からしっかりと勤め上げた人はなぜかぽっくりと死んでしまう人が多くいます。

理由はわかりませんが、はりあいがなくなるのか、退職後の転職先でストレスを抱えてしまう人がいるのかすぐに死んでしまいます。

本当に驚くほどそのような話を聞きます。

ぽっくり死なのでしょうか。

一例として退職後妻に熟年離婚を申しだされた元陸曹長がいました。

かなりやばいですよね、その人は自殺をすることになったのですが・・・・

その人は自衛隊にいるときから少し変わっていましたが、切れ者でした。

優秀な兵士だったんですが、熟年離婚の末自殺しました。

彼からしたら妻は自分が定年退職して退職金が入るまで待たれたということなんでしょう。

いやですね、自分の退職金のためにずっと夫婦関係を続けてきたんだと思うと心が痛みます。

きっと彼の性格では退職後の転職先でも上手く行かなかったと思います。

気が荒くて自分勝手なので。

自衛隊にいる間は切れ者ということと、階級で彼に意見を述べる人はいなかったようですが、外の会社では違います。

転職先でしっかりやらないと、そりゃ精神的に追い込まれるでしょう。

そこに追い討ちをかけるように熟年離婚だなんて災難としかいいようがありませんね。

自衛隊退職をしても決して自殺なんてしないでください。

これからも生きていれば楽しい事だってあるんですから。

自衛隊からドライバーに転職

なぜか自衛隊に来る求人にはドライバー職が多いです。

バスドライバー、タクシードライバー、トラック運転手など・・

多いですね。

実際就職援護援護センターで求人を見ていても、そのように感じます。

もしかしたら自衛隊では大型の免許【外では中型相当】を取得できるからかもしれません。

そういった素養を持っている、最初から免許を持っている人を取りたいという企業側からの要求で自衛隊が日の目を浴びているのかもしれません。

自衛隊は演習があれば車を運転して、演習場まで移動していますが、そこまで車の運転に長けた人はいません。

車の運転を見ていても荒い人が多いし、安全運転をするような繊細な人は自衛隊にはいないんじゃないだろうかと思います。

トラック運転手のような仕事であれば、そんな人でもよいのでしょう。

ようは時間に間に合うように車を運転して目的地にたどりついてくれさえすれば良いという風に考えているクライアントが多いのかもしれませんね。

それならそれでよしです。

自衛隊って就職に対して積極的なイメージがありますが、実際にはそんなことはありません。

転職者がどんなブラック企業に行こうか構いません、それはその後考えて自分でうまくやってよねという風にしか考えていません。

だからブラックトラックドライバーとして働こうが後のことはなんにもしてくれません。

もしトラック運転手に自衛隊退職後に転職しようと考えているならぜひ危険物を取っておくことをおすすめします。

そうすれば、危険物を運搬することができて、資格手当をもらうことができますから。

大丈夫ですよ。業務隊などでガソリンの補給所にいる人はみんな取っている資格ですから。

ようするに自衛隊のレベルのおつむでも取ることができると言う資格ですね。

挑戦するだけしてみてもそんはしないんじゃないでしょうか?

日本語教師を辞めたいと思ったら!おすすめ転職サイト紹介

学生時代の家庭教師に始まり、私は人生のほとんどを人に何かを教えるということで生きてきました。

何かを教えることで人と触れあい、その人を知り、時には何かをきっかけにその人の人生や心にまで触れることがあるときには感動しました。

人に何かを教えるという仕事は私にとって天職だと思っていました。

日本語教師になろうと思ったきっかけは、その前職にあります。

前職は企業のセミナー講師で、約10年間勤めました。

本社をアメリカに持つその仕事では年に数度の本社ミーティングがあり、そこで私は英語を媒介語とした多言語ミーティングを経験しました。

メンバーのうち英語を話す国は全体の半分で、それぞれが自国の同時通訳を通して仕事をしていたのですが、このとき体験したのが異文化交流です。

共通言語を持つことなく、多言語で、時には身振り手振り。お互いにコミュニケーションを取ることがこんなにも面白いものだとは思いませんでした。

その仕事をずっと続けたいという気持ちもありましたが、何しろ出張が多く、そろそろ腰を落ち着かせようという思いから退職をし、前職を生かせる仕事として日本語教師を選びました。

多言語コミュニケーション。異文化コミュニケーション。言語の壁を越えて自国の言葉を教える日本語教師は最適だと思いました。

何より、日本語というものを通して人と触れあい、人に何かを教えることで喜んでもらうということが、またできる!と思いました。

目次
日本語教師になるために精一杯努力しました
晴れて日本語教師になれたのに、待っていた現実は・・・
私が日本語教師を辞めたいと思った理由
日本語教師におすすめ転職サイトランキング

日本語教師になるために精一杯努力しました
日本語教師辞めたい

意気揚々と日本語教師への道を歩もうとしましたが、すぐになれるものではありませんでした。

日本語教師になるためにはその資格が必要です。その条件とは次の3つです。

大学で主、または副専攻で日本語教育科目を履修し卒業していること。
日本語教師養成講座を420時間以上受講していること。
または合格率20%といわれている日本語教育能力試験に合格していること。

この3つの条件のどれか1つを満たさなければなりません。

私は日本語を教えるということに関しては全くの無知でしたので、養成講座を受講することに決めました。

条件を満たすまでには半年から2年の時間が必要です。

それでも次の仕事はこれしかない!と思いましたので頑張りました。

実際、始まると、養成講座での授業はどれも興味深いものでした。

今まで自然に使ってきた日本語の知られざる一面を知るような面白さがあり、同じ目標を目指す友達もたくさんでき、久しぶりの学生気分に毎日が充実していました。

クラスメイト同士で先生役、生徒役を交互にやる模擬授業も楽しく、早く就職して本当の授業をやりたい!と思いました。

ちなみに、日本語を教えるのに他の言語は必要ありません。

よく英語で日本語を教えるのだと思われている方がいますが、クラスの学生は多言語です。中国、ベトナム、ロシアにバングラディッシュ・・・。

欧米人だけを相手に、英語を媒介語にした日本語学校も中にはありますが、そういう学校は少数です。

ほとんどの日本語学校が日本語で日本語を教える直説法という教授法で教えます。

私にはこの直説法自体がいい意味のカルチャーショックであり、初めて聞くこの教授法の面白さに、日本語学というものに夢中になっていきました。

そして、この教授法を使えば全く共通言語を持たない者同士が時間をかけて心を繋げることができるのではないか?!とワクワクして就職しました。

目次
日本語教師になるために精一杯努力しました
晴れて日本語教師になれたのに、待っていた現実は・・・
私が日本語教師を辞めたいと思った理由
日本語教師におすすめ転職サイトランキング

晴れて日本語教師になれたのに、待っていた現実は・・
日本語教師辞めたい

ですがフタを開けてみると、実際の授業はまったく違うものでした。

入る前まで私は、日本語学校に来る学生は少なくとも日本語を学びたい人が来るのだろうと思っていました。
ところがそれは違いました。

中には学びたくてやってくる真面目な学生も勿論いましたが、そうではない学生もたくさんいました。

彼らは出席日数を取ることに躍起になります。

日本語が話せるようになるかどうかにはあまり興味がないようでした。

明け方までバイトをして、ほとんど寝ずに学校へやってきます。

彼らにとって一番大切なものは、ビザでした。

彼らは高い授業料以上に働いて稼いでお金を貯めます。

学校側から出席簿は肌身離さずトイレにまで持っていくようにといわれました。

それでも私も最初の頃は夢を持っていました。

やる気のない学生にやる気が出るような授業をするのも教師の仕事のうちの一つです。いろいろな工夫をしました。

楽しみながら参加できるようにとゲームも取り入れました。

ですがこれも驚くような結果に終わりました。

目を爛々とさせて、勝つためになんでもするその光景はあっけにとられました。

日本語を使うものは一人もいません。

いろいろ努力しましたが、新米の私は持ち駒も少なく、

出稼ぎに来ている彼らに日本語への興味を持ってもらうことはできませんでした。

そしてそんな彼らを統括する教員室はたくさんのルールで縛られ、まるで軍隊のようでした。

やる気のない学生と、それをコントロールする教員側との緊迫感に疲れてしまいました。

言葉の通じない者同士が努力しながら一歩ずつ歩み寄り、言葉の垣根を越えて心を繋げることができたらステキだ。
などという甘い夢はもろくも崩れ去りました。

せっかく努力して勉強して日本語教師になりました。生徒たちのために英語だって勉強しましたが、私は我慢の限界がきて転職することにしました。

その際利用したのは業界最大手のリクルートの転職サイトです。努力して学んだ語学力を活かして今は楽しくやりがいのある仕事をしています。

目次
日本語教師になるために精一杯努力しました
晴れて日本語教師になれたのに、待っていた現実は・・・
私が日本語教師を辞めたいと思った理由
日本語教師におすすめ転職サイトランキング

私が日本語教師を辞めたいと思った理由

出席数稼ぎの授業
共通言語を持たない者への重要な連絡
使いづらい教材
教員室内の緊迫した空気
交通費も出ない無給の研修
夜遅くまで続く授業後の仕事

出席稼ぎの授業
実際に教壇に立つ前まで私は、日本語学校に来る学生とは、少なくとも日本語を話せるようになりたい人たちであり、自分はそういう人たちに向けて日本語を教える。ということを予想していました。

私は教えるという仕事は初めてではありませんでしたので、養成講座の模擬授業と現場が違うだろうということもわかっていたつもりです。

ですがこの私の予想をはるかに超えたやる気のなさ。
それは私にも伝染しました。

更に悪いことに、日本語学校では3ヶ月ごとにクラス編成をしていました。成績ごとのクラス分けです。

私は3度目のクラス替えで一番下のクラスの担当になってしまいました。

つまりやる気のない学生たちが集められたクラス。これが致命的でした。

日本語学校というものはだいたい一つのクラスを3人の教師で受け持ちます。

それぞれのクラスには担任がいて、授業はチームで行います。

私は担任には恵まれましたので、この「一人で背負っているのではないのだ。」という感じがせめてもの救いでした。

ところがその担任がこの一番下のクラスを受け持つことになったときに、こういいました。

「私、いつのまにかこの一番下のクラスの担当みたいになっちゃってるんだよね。もうこれから逃れられないのかな。」

これを聞いて恐ろしくなりました。授業に興味を持たない学生ばかりを集めたクラスが永遠に続く!これは恐怖です。

とても少数ではありましたが、中には本当に頑張ったのだけれどできなかったという学生もクラスにはいましたので、私はそういう学生たちに向けて授業をしました。

ですがこの最後に受け持ったクラスのほとんどの学生にとっては、日本語を教えられるということ自体がむしろ迷惑なようでした。

授業は時間が過ぎれば終わるもの。時間が過ぎるまでいかにして時間をしのぐか?!

睡眠をとるか、ネットサーフィンをするか・・・。彼らはただ出席欄に「○」をもらうためだけにそこに存在していました。

そしていいことか悪いことか、学校側もこれはわかっていて、その対処法を提案してきました。
以下はその一例です。

5回以上の私語は欠席。
眠る者は居ないものとみなす。
スマホをいじっていたらその場で没収。などです。

学校はよく考えてくれます。何かの打開策が必要でしたから。

ですが、私はこの板ばさみになりました。学校からの提案はいつしか学校のルールになり、携帯を出す、出さない。見てた、見てない。私語だ。私語じゃない・・・。授業よりもこの悶着に時間を取られました。

更には、他の学校ではどうかわかりませんが、私が勤めていた学校には主任の巡回があり、授業中に突然、主任が教室に入ってきて何の前触れもなく授業を見学していかれました。

これは初心者にとっては、ものすごいプレッシャーです。

プレッシャーやストレスは他にもあります。

共通言語を持たない者への重要な連絡
学生への連絡アナウンスは各教室でやるものですが、大学の願書であるとか、ビザのことであるとか、とても重要なことを日本語がわからない。英語も通じない。共通言語を持たない学生たちに伝えなければなりません。

彼らにとってビザに関する情報というのは死活問題です。

ビザがなければ彼らが日本で暮らすことができない、違法状態になるわけですから本当に大切な情報です。

意思疎通のミスで一度大変な事故も起きたこともあります。

使いづらい教材
教材もとても使いづらい教材を使っていました。

クラスのほとんどの学生は、日本語が話せていないのですが、信じられないことに、全員、母国の日本語学校で基礎を終えてきている人達という設定でした。

学校では“基礎を終えた初心者向けの教材”というあまり目にしない教材を使っていました。

その教材の使いづらいこと使いづらいこと!

各課のバランスがとても悪く、それは他のほとんどの教師が会議の議題として挙げるほどの使いづらさで、日本語を教えるということ自体に慣れていない私は四苦八苦しました。

日本語の教材には定番の教材というものがあります。

養成講座ではその“日本語の教材といえばこれ!”という定番教材を題材に教授法を習いました。

私がたまたまだったのかもしれませんが、これまで3ヵ所で授業をしてきましたが、3ヵ所全てで違う教材を使いました。養成講座で使用した教材は残念ながら一度も使ったことがありません。

日本語教師というもの自体が新米の者が、次から次へと新しい教材を紐解き教案を作るということもまた一苦労でした。

そして、この道を目指したことがある人なら知っていると思いますが、日本語の授業はその準備に時間を取られます。

この仕事を一度でもやった事のある人なら体験済みのことと思いますが、授業が終わると、始まるもう一つの仕事があります。宿題の採点。テストの採点・・・事務処理。時間がいくらあっても足りません。

にもかかわらず、報酬は驚くほどの薄給。新米だと稼働が週に3日程度で、もらう額は多くても7万ぐらい。3ヶ月ごとに2週間前後の長期休暇が入ります。

一人暮らしの先生はたいていアルバイトをしていました。

それでも続けている人はたくさんいます。

これらのことを上手くかわし、上手く授業に惹きつけ、学校側とも学生側とも上手にやりつつキャリアを積めば、いつしかこういった状況の中にもやりがいを見つけることができるのかもしれません。

でも私はそこまで持ちませんでした。

どんな仕事にもいい面、悪い面があります。

得意なことと不得意なこと、上手くできることと、できないことがあります。

人間関係のプレッシャーというものもどんな仕事でもあるでしょう。

でも本当にその仕事が好きで、やりがいを感じていれば、多少のことは乗り越えられるものです。

「自分が何かの役に立っているとは思えない。」

これが私が辞めた一番の原因だと思います。

ずっと辞めたいと思っているくらいならいっそのこと転職するのがおすすめですよ!

日本語教師におすすめ転職サイトランキング

日本語オタク、言語オタクである日本語教師には、語学を活かした仕事が非常におすすめできます。

旅行が好きなら旅行代理店、稼ぎたいなら海外営業等々・・・

これまで学んできた語学を最大限発揮できる場で働くことをおすすめします。

語学が活かせる仕事を見つけたい方は、転職サービス選びも一工夫が必要です。それは海外志向の強い会社を積極的に紹介してくれるところのお世話になることです。

おすすめはエージェント型の転職サービスです。自分でアクセスするタイプの転職サイトは補助的に使う方が良いでしょう。

エージェント型の転職会社は、一人一人に専任のアドバイザーがついてくれてできるだけ良い条件で転職をサポートしてくれます。

転職エージェントの利益は転職者の年収により変わってくるので、できるだけ良い条件をひっぱることで転職者とエージェントがWin-Winの関係になるようなビジネスモデルになっています。