心が折れてしまい、IT系での営業を辞めることにしました

新卒で入社したIT系の企業。
営業職は、今時珍しいバリバリの体育会系の企業でした。
毎日のテレアポ、お客様だけでなく上長からも怒鳴られる日々。
残った仕事を片付けるため、土日の出社は当たり前。
精神的にも体力的にも辛く、プライドはボロボロで、毎日泣いていました。

しかし、私は簡単に辞めようとはしませんでした。
すぐに辞職して第二新卒として就職活動を再開させても、ろくな就職先なぞそうそうない事を理解していた為です。
また、営業職として成功されていた先輩方は、皆さん非常にかっこ良く、ケタ違いの給与を勝ち取っていました。
「今まで散々親不孝してしまったのだから、耐えて稼いで、親孝行をする」
その思いが非常に強かった為、不思議と会社に対する愚痴は起きなかったものです。

実際、仕事は難しかったものの、沢山の印象に残る経験をさせて頂きました。
上場企業の役員クラスのクライアントの接待、社長との面談、同期との派手なストレス発散…。
「俺はきっと正しい道を歩んでいるのだ!」そう確信していました。

しかし、やる気とは裏腹に、私の能力の向上は非常にゆるやかなものでした。
入社後4ヶ月にして、上司のアシストもありようやく契約を一本頂いたのですが、その後は連戦連敗。
同期は次々と去っていきましたが、残った同期は非常に優秀。
成果を残し続ける同期と自分を比較し、焦りばかり募りました。

営業マン失格を言い渡されたのは、そんな時でした。
「結果も残せてないヤツが、何営業なんて名乗っちゃってるの」
役員からの厳しいツメ。悔しかったですが、事実その通りでした。
何も言い返せず、降格を受け入れました。

こうして私は、営業マンの下で働くこととなりました。
元同期の雑用をするのは、精神的に苦痛でもありました。
ですが、ここで泣いても仕方がない。必死に耐えて、いつかは成功する。
そう思いながら、努めて明るく雑用でも何でもこなしました。

そんな頑張りが認められたのか、雑用係としてはなかなかの評価を得ました。
今までロクに認められなかったもので嬉しくなった私は、喜んで土日も一生懸命働きました。
そして、さらに評価は向上しました。
時には体調を崩した営業マンの代わりにお客様と話すなど、再び営業マンとしての仕事をこなすこともありました。

ですが、そんな希望に満ちた私は、遂に心が折れることとなります。
4月の時点で提示された給与は、現行のものを下回る額。
さらに、「勘違いしているみたいだけど、お前あんま価値出てないよ」という上司からのツメ。

頭が混乱しました。
そして、休職手続きを行い、そのまま退職という形になってしまいました。
休職中は、一日中自宅で泣いていたような気がします。

今思えば、もう少し忍耐が必要だったと思います。
「価値が出てない?じゃあ価値を出してみせますよ!」という心意気があるべきだったと思います。
しかし、それと同時に自分はそもそも力不足であったのではないかとも思います。

仕事は楽ではないことを、厳しく教えてくださった企業でした。
当時は少し恨みはしましたが、今となっては非常に感謝しています。

転職して一年、活躍の場を探しての転職のはずが・・・。

IT系の会社に勤めてキャリアを積んで10数年、その間、様々な経験を経ながら困難を乗り越え成長してきた自分。
当時は受託開発でメンバーからPL、PMと経験を積むことでマネージャーとしてもキャリアを歩み始めた自分であったが、
会社の方針により、受託開発ではなく、パッケージに主力を入れることによる事業再編により当時所属していたメンバーの半数が部署移動する事態となる。
異動せずに残った部署では新規開発がなくなり、運用保守だけの状態となり、このまま運用保守だけで終わっていいのか、と考えるようになる。
今までシステム開発でキャリアを積んできた自分にとっての運用保守だけの職場では活躍の場はなく、今までのキャリアを生かした会社を求めて現在の会社に就職。

システム開発における上流からの経験及びプロジェクトマネジメント経験を生かして再びシステム開発に従事する未来を思い描いて転職。
事前に受託開発があることも確認し、転職してからも活躍できることを確信しての転職したはずが、受託開発ではなく、SES型の業務で客先常駐。
エンドユーザーとの交渉及び金額調整等を実施してプロジェクトを推進する立場としては受託開発を続けていくはずが、客先常駐型で客先作業に従事することになるとは思わなかった。
当初は入社して日が浅いこともあり、修行の日々と思い我慢を重ねる。
しかし、商流で大手SIerの下での作業では結果に対する責任がなく楽な代わりに自分で決定権もなく、モヤモヤする日々が続く。
そのSIerのマネジメントがよければ今後の参考にもなるが、あまりにも杜撰であったため、私の今までに経験からこのままではプロジェクトが失敗すると判断。
PMのスキル不足によりお話ししてもまともに話にならないため、その上のプロジェクト責任者にも直談判してプロジェクトを立て直すための対応策を話するも聞き入れてもらえず、
完全に失敗することを確信。
そのため、自社に対して「このままシステム開発を続けていてもプロジェクトとしては失敗するため、現場を抜けさせて欲しい」
と申し入れるが会社は聞き入れない。
いろいろ格好いいこと言いながらお客に対して物言えない姿勢、当時、自社の社員は私一人であり、
その発言に対して耳を傾けない姿勢に失望する。
最終的に数か月後にはその客先を抜けることになるが、
その間、私が発言した通りの状況となり、プロジェクトがどんどん悪化していくが、私に決定権がないためどうしようもない。
何もできない自分の無力さを感じ、本当の意味で今までのキャリアを生かせる会社を見つけるため転職を決意する。
その後聞いた話であるが、私がその客先を抜ける直前に言った悪い予言がすべて当たったことを残ったメンバーから聞いた・・・。

未だに自分の望む活躍ができていないが、自分の経験を生かしてシステム開発を成功に導き、顧客も含めたプロジェクトに携わるメンバーが皆が幸せになれることを夢見ながら転職活動に励む日々である。

子供の笑顔が毎日見たい!SEを辞めたいと思ったとき

私が仕事をやめた理由は、家事、育児との両立が難しいからです。
よくある理由だと思います。
でも、現実は思った以上につらいものでした。

私はIT企業に勤めるSEでした。
規模は100人そこそこ。
ほぼ全員が客先常駐型の、よく言うITドカタというやつです。

仕事はハードでしたが、割とアットホームな雰囲気の会社で、独身の頃は居心地の良さも感じていました。
入社5年目くらいで結婚。
入社6年目くらいで妊娠。
育児休暇も問題なく取らせていただいて、感謝もしていました。
しかし、私以外に育児をしながらSEを続けている人は、
1人しかいませんでした。
私を含めて100人中2人だけだったのです。

それ以外は大半が独身男性。
既婚者の男性で子供もいる人は、時短勤務で働いている私を理解してくれる人も多かったと思います。
しかし、独身で周りに子育てというものをしている人がいない人にとっては、どうしても理解できないようでした。
「こんなに忙しいのに、子供がいるからってなんで5時で帰るんだ???」
「バグが見つかったのに何で解決してから帰らないんだ???」
私自身も、毎日「もう少し残業できたら・・・。」と思いながら帰る毎日でした。

月に一度、社外に出ている人もみんな集まって会議をやるのですが、みんな客先での業務が終了した後に集まるので、夜の7時からやっていました。
私は保育園のお迎えがあるという理由でずっと欠席していました。
理解してくれている人は「今は仕方がない」と思ってくれているようでしたが、納得できない人もいたようです。
それに、会議に出席しないということは、発言の機会もないということなので、自分から周りの人に理解を求めることも出来ませんでした。

仕事を中途半端で終わらせて、走って電車に乗って帰って、6時に保育園にお迎えに行くと、子供は毎日のように泣いていました。
「○○ちゃんも、○○くんも、もうとっくにお迎え来てんだよ。なんでママは遅いの?」
子供には私の仕事の状況なんてわかるはずがありません。
周りの友達がみんなお母さんと帰っていくのを見送って、毎日最後になってしまう自分がさみしくてしょうがないのです。

辞める決意をしたのは、子供の笑顔が少なく思えたときです。
毎日ドタバタで保育園に送って、仕事が終わって帰ってきてからもやっぱりドタバタで。
これでは子供の笑顔を見る暇がないことに気が付きました。

自分のスキルアップよりも、子供にゆっくり絵本を本であげる時間のほうが重要に思えました。
毎日毎日、子供は成長し、違う顔を見せてくれます。
それを見ないで仕事ばかりしているのはもったいない!!

私が仕事をやめたのはそんな理由です。

今では家で出来る仕事に切り替えて、午後4時にはお迎えに行っています。
そして保育園の帰りには公園で遊んできています。
子供もよく笑い、毎日が充実しています。

その代わり、収入は激減ですが・・・。