年齢とともに課される責任の重さに耐えかねて…大手銀行関連会社プログラマー

幼少期から機械やパソコンをいじるのが大好きだった私。論理的思考にも長けていたため、大学は迷わず工学部の情報システム関係の学科に進学。卒業後は大手銀行関連会社に就職しました。仕事は主にシステム開発のプログラミングを任され、なかなかの成績をあげることができ、順風満帆のように思えました。
しかし、雲行きが怪しくなってきたのは30代に入ってからです。肩書きは”プログラマー”ですが、徐々に”システムエンジニア”や他の社員との連携を必要とする仕事を任されるようになってきたのです。もともとコミュニケーション能力の乏しい私は、社員の間で仕事を割り振ったり後輩の指導をしたり…ということになかなか慣れることができずにいました。しかし、年齢とともに任される仕事が変化し、責任が重くなっていくのは当然です。プログラミングだけに集中するのは、若い社員の方が能力は遥かに上。自分は分岐点に立っているのだということを認識することはできていたつもりでした。
そして、ある時、新しい仕事のプロジェクトリーダーを任されました。今になって考えると、自分がこの会社を辞めた大きな理由はここから始まったように思います。大きな仕事でしたので、帰宅時間はいつも日付を超えてしまい、睡眠時間を削らなければなりませんでした。あまり残業時間を報告すると、その分人件費がかかって赤字が出てしまう可能性があったので、控えるようにしていました。そのため長時間労働を強いられていたのにも関わらず、収入は変わりなく、肩書きもプログラマーのまま。しかし尊敬する先輩社員は、何度も私を飲みに誘い、「お前は期待されているんだよ。今を乗り越えれば、きっと成長できる。今が踏ん張りどきなんだ。」と繰り返し激励してくださいました。その言葉を信じ、慣れない立場での仕事に没頭する日々が続きました。その結果、私の真面目な性格がどんどん自分を追い詰めていったのです。
精神科を受診したのは、そのプロジェクトの納品が終わってしばらく経った頃です。プロジェクトは結局自分のミスで赤字となってしまいました。私はそのことですっかり自信喪失してしまいました。何かおかしいなと思い始めたきっかけは、早朝に何度も目が覚める症状でした。うとうとしたと思ったらハッと目が覚める。これが10分おきに続きました。そして、出勤前の異様な緊張感。手足が汗でぐっしょり濡れ、心臓の鼓動が早くなり、胸が苦しくなりました。会社に着くと、ふらふらして集中力がなく、全く仕事に手がつきません。これはもう限界だ、と感じ、思い切って精神科の門を叩きました。
何ヶ月か通院し、医師の勧めにより半年間休職をすることを決め、私の休職をきっかけに妻が薬剤師の仕事の方に集中してくれることになりました。そして私は家事をするようになりました。はじめは慣れずに戸惑ったものの徐々に慣れ、日々の生活を楽しむ余裕すら出てきたのです。症状も改善し、生き生きと毎日を送ることができるようになりました。
その生活の中で繰り返し考えていたのは、「自分は何のために働いていたのか」ということです。あんなに安月給にもかかわらず身を粉にして、何が良かったのだろう。無理をして慣れない仕事を任され、適応することができず、挙げ句の果てに精神科、休職…。そこで至った結論は、「自分は仕事人間ではなかったのだ」ということでした。仕事を生き甲斐にし、家族を経済的に支える、というのが大抵の男性像なのでしょうが、私はそうではありませんでした。妻の仕事の収入で十分生活できていたので、最終的に思い切って休職後、そのまま辞職することにしました。今は主夫として、妻を支え日々頑張っています。